カテゴリー「■恍惚の音楽」の記事

2009年3月21日 (土)

みんなで踊ろう!歌おう?「マンマ・ミーア!」

Photo_2 のミュージカルは、合計5回観たことになる。汐留で3回、NYCで1回、そして六本木で1回。汐留は言わずもがなの劇団四季のステージ。電通四季劇場「海」のこけら落し公演。ミュージカルを観て、立ち上がって踊った初の体験。演出に文字通り踊らされたのかもしれないけれど、そこはABBA世代。ユーキャン ダァンス!ユーキャン ダァ〜ンス!と歌われればダァンスィング♪してしまう。仕方ない。2度目はご近所の友人夫妻を誘い、一緒に踊った。友人(夫)に「IGAさん、真っ先に踊ってましたねぇ」とか言われながら。そして、ロングラン公演も終わりだと聞いた頃、「マンマ・ミーア!」がすっかり気に入った彼らと一緒に再び汐留に向かった。名残惜しさを感じながら、3度目の公演でも立ち上がり、踊った。

Photo4度目はNYCの友人夫妻と一緒に。当時、友人(夫)は人気のチケットを取るために、「日本からVIPが急に来ることになった。取れないと大変なことになる!」と無理やり(半ば脅して?)チケットをゲットしてくれた。さすがの英語力とネゴシエーション力。そして、シャイな日本人があれだけノリノリなんだから、ブロードウェーであれば、さぞや!と思って期待しながら劇場に向かった。さすがに4度目だし、ストーリーはばっちり。歌はもちろん問題なし。そして、エンディングだぁ。ダンスィング・クィーン!イェイ!・・・え!誰も立たない。踊らない。アラバマやらアイダホ(想像)から来ていた爺ちゃん、婆ちゃんたちは踊らなかった。踊れなかった。きっとABBAは知らなかったのだと思う。不完全燃焼。・・・それから5年。「マンマ・ミーア!」が映画化されたとのニュース。行かねば!

・・・と、思いながら映画館になかなか行けない日々が続いた。芝居と違って前もってチケットを予約する習慣がないため、行きそびれていた。そこに故郷に住む弟からメール。「娘が急遽東京に行くことになったんだけど、会場までエスコートしてもらえない?」ん?何?「皆で一緒にマンマ・ミーア!を観ながら映画館で歌おう!というイベントがあって・・・」何!楽しそうじゃないか!ところでなぜ娘(19歳)がABBAなの?マンマ・ミーア!なの?聞けば、中学の修学旅行で四季の「マンマ・ミーア!」を観て、家に帰り報告すると父親(弟)が手ぐすね引いて待っていた、という訳らしい。なるほど。彼らはカラオケ・スナック(ボックスではなく)でデュエットしたり、震災直後の神戸でボランティアに参加した場所を共に再訪したり、実に仲の良い親娘。今回も後から娘に合流するという。お気楽夫婦はイベント当日は会えず、翌日ランチを一緒に取ることに。

Photo_3ビルで仲良し親娘と待合せ。ところで、イベントはどうだった?「みんなで歌おう!カラオケナイト!っていう英語歌詞字幕付きの上映があって、でも今回のイベントの主催者が行った時は誰も歌わなかったんだって。それで、これはいかん!ということでMixiのコミュで募集して賛同したメンバーが100人弱集まったという訳。娘が最年少参加者で、俺が最年長参加者だったんだ」なるほどねぇ。彼らと別れた翌日、さっそく六本木TOHOシネマズへ。そこは前々日に姪が歌った場所でもある。映画はステージと違って当然ロケが可能。ストーリーの広がりも、映像の広がりもステージとは段違い。もちろん出演者たちの顔もアップにもなる。だからこそ、ドナ役のメリル・ストリーブの皺が良い。その後のステージ衣装とのギャップが際立つ伏線になる。ステージでの“良い娘”過ぎる設定より、ソフィ役のアマンダ・セイフライドが良い。チャーミングなソフィの魅力が画面に溢れる。そして、何よりもABBAの楽曲が良い。思わず小さく口ずさむ。うん、確かに歌いたくなるね♪

ん、そう言えば「DVD出たら買うよ♪」と弟が言っていた。そしたらみんなで、歌おう!踊ろう♪ユーキャンダンス!YES!We Can!「え?私は良いよ」妻の答は予想通り。

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2008年11月30日 (日)

きっとまたいつか?「小田和正@東京ドーム」

Photo_3たとえ君が目の前にひざまづいてすべてを「忘れてほしい」と涙流しても・・・♬高校時代、若く、真っすぐで、一所懸命な恋をしていた。すきま風の吹き込む体育館、放課後の公園、駅までの通学路。オフコースの「眠れぬ夜」の歌詞が恋の傷に沁み、小田和正の透き通った声とメロディに癒され、痛く、温かい背反する感情が私を包んだ。まだオフコースがメジャーではなく、小田和正と鈴木康博のデュオになり、小さな会場でライブをやっていた頃のエピソード。売れていないのに、気高きアーティストだった。今でも「眠れぬ夜」を聴く度に、その頃の、甘く、苦く、柔らかな情景が浮かんで来る。そして、今でも季節の替わり目などに、「僕の贈りもの」の歌詞がふと浮かび、(お風呂などで)思わず口ずさんだりもする。オフコースは、私にとってそんな存在だった。

Photo_4 して、1989年2月に解散するまで、数々のヒットと大勢のファンを得た頃には、ちょっとオフコースとの距離が開いてしまっていた。当時、テニス仲間の可愛い女の子(当時)にオフコースの解散コンサートに誘われた。当然一緒に行こうと約束し、チケットも予約してもらったのに、直前に私の都合で(どんな理由かも忘れてしまったけれど)行くことができなかった。その後、小田和正がソロで活躍し、ヒット曲を連発し、メジャーになり、ポップスターになるにつけ、小田和正の曲も、声も相変わらず好きなのに、どんどん私との距離は離れて行った。(デビューした頃の村上春樹作品が好きで、「ノルウェーの森」辺りから少し距離感を持ってしまった気持と少し似ている)それでも、オフコースや小田和正のベスト版を買うぐらいのファンではあった。

Photo_5 2008年初冬のある日、そんな私が妻と一緒に東京ドームにいた。妻の方針に従った結果であり、もちろん、初「生」小田和正。初恋の人と無理やり会わせられるような微妙な気分。席は2階席。ステージはほとんど観えないだろうと席に向かうと、目の前には観たこともないステージレイアウトが。アリーナの中心にセンターステージ、その周囲に4つのサブステージ、それらを繋ぐ長い通路。そしてメインのステージの裏にも客席がある。そして、各所にスクリーン。アリーナの客席はメインステージを向かず、センターステージ向きにセッティングしてある。(調べてみると、小田和正のツアーでは恒例で、それぞれ「花道」「オン・ステージ・シート」などと呼ばれているらしい)いわゆる見切り席が出にくいレイアウト。凄い。6時30分という早い時間の開演にも関わらず、どんどん席が埋まって行く。年齢層は幅広く、親子連れの姿も目立つ。空席は全く見当たらない。凄い。

Photo_6ンストルメンタルメドレーで最初に「僕の贈りもの」が流れ、開演。いきなり涙腺が刺激される。やばっ。そして最新シングル「今日もどこかで」で初の生声。凄い。齢61歳とは思えない声の伸びやかさ、相変わらずの澄んだ歌声に鳥肌が立つ。オフコース時代の曲も含め、耳にしたことのあるメロディが続く。スクリーンや電光掲示板に歌詞が表示されるという細やかなサービスに関心している間に、メドレー。「眠れぬ夜」が流れると、私の目からも水分が流れる。妻にバレないように、こっそりと涙を拭う。大きな会場を走り回り(腰を痛めたそうで、ゆっくりと)歌い続ける61歳。凄い。映像で観る小田和正よりも、むしろ若々しいぐらい。そして、何度も何度も「どぉもぉ!」とお辞儀をして、何度も何度もアンコールに応え、終演は10時過ぎ。公演時間3時間30分以上。途中ビデオ放映があったものの、ずっと独りで語り、そして歌い続けた超人的なアーティストだ。考えてみたら、ビリー・ジョエルよりも年上!凄い!

のサービス精神溢れたステージが、この動員を生むのだろう。(熱狂的なファンが宗教的な空気を作っているのかと危惧したけれど、それも全くなかった)そのアーティストとしての姿勢に素直に脱帽し、改めてファンになる。初恋の人と再会し、改めて恋に落ちた気分。妻に感謝。「声は全く年齢とってないねぇ。それに、意外と脱力してたし、良い感じで老けてるんだね」きっと、年齢を重ねて聖性(誤解のないように言えば、近づき難さ)がなくなったのかもしれない。この時期に初めて生で聴いて正解だったのかも。ツアータイトル通り、きっとまたいつか!そう思わせる素晴らしいステージだった。

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2008年11月29日 (土)

30年目のピアノマン「ビリー・ジョエル@東京ドーム」

Photo1978年4月23日、ビリー・ジョエル日本公演当日。若き日の私は、共にアテネ・フランセに通う友人と一緒に中野サンプラザの前にいた。当日券が買えるかもしれないという僅かな望みを持って。前売りチケットは既に完売。前年に発売されたアルバム「ストレンジャー」が日本でも100万枚を超える大ヒット。急遽決定した初来日。窓口に並ぶファンも多い。残念ながら当日券も手に入らなかった。そして自分たちには幻になったビリーの生歌を頭の中でリフレインさせながら、中央線沿線の飲屋で安酒を酌み交わした。それから、30年。「ビリー・ジョエルの東京ドーム公演のチケット予約してみない♪」妻からの提案になんとなく頷いた。どうせチケットは取れないだろう・・・。ところが、2008年11月のある日、妻と私は東京ドームにいた。

Photo_2 来日から30年を記念した1夜だけのスペシャル・ライブ。ほぼ定刻通りの7時には開演。懐かしい口笛が聞こえてくる。うわっ!1曲目はいきなり「ストレンジャー」かぁ・・・。思わず涙が出そうになる。一気に30年前の自分にタイムスリップ。初のビリー・ジョエルの生歌。生ビリーの体重は見事に増え、逆に髪は見事になくなってしまい、見た目は若い頃の面影はないけれど、声は健在。デビュー当時より太い声になってはいたけれど、高音もよく伸びる。シンプルなステージ(とPAの設定?)だったためか、音も悪くない。「マイ・ライフ」「素顔のままで」「ザンジバル」など、それ以降も日本のファン向けの選曲。まるで「ビリー・ザ・ベスト」のライブ版のよう。ビリーもなんだかとてもリラックスして歌っている。隣で(アリーナが取れてしまったので仕方なく)立ちっ放しの妻も終止笑顔。良いライブだ。そして、ラストは「ピアノマン」で締めくくられ、9時には終演。ふぅ、満足。

Photoられる時に行っておかないと、ライブではもう観られないと思うんだよね」そんな妻の提案で、今年は既にポリスのライブに行き、翌週にはある国内アーティストのライブに行く予定だ。全て東京ドーム。チケット代も決して安くはないけれど、これも一種の大人買い。若き日に聴き込んだ、でもライブに行くチャンスがなかったアーティストたち。妻も生ビリーは初体験。「でも「アップタウン・ガール」は演ってくれなかったね」妻がちょっと残念そうに呟く。そうだね。アップタウン ガァア♪シーズビィンリビィン・・・♬小さな声で喧噪の中を2人並んで囁くように歌いながら、東京ドームシティのイルミネーションの中を歩く。お気楽夫婦のミーハー心をたっぷり満たした良い公演だった。

Photo_2待した以上に声が出てたね。還暦間近なオヤヂなのに、凄いねぇ、やっぱり」閉店時間ぎりぎりに飛び込んだ飲屋でも興奮冷めやらぬ様子の妻。音や映像だけで憧れていたアーティストを(生きている内に)観ておきたい。そんな気持らしい。確かに、数年前にポール・マッカートニーを観に行った時も、そんなことを言いながら終演後に酒を飲んだ。しかし、ポールの時はスタンド席で生ビールを飲みながら、のんびりとビデオ・ライブのようなコンサートを味わった。けれど今日は、立ちっ放しのアリーナ席。唯一の不満。究極は、お酒を(座って)飲みながら、小さなライブハウスで、ビリーのピアノだけでライブを聴きたいねぇ。♬イッツナインノクロックオンサタデェ♪お気楽夫婦の頭の中で、「ピアノマン」がリフレインする。まったりと、まったりと、美味しい肴を摘み、美味しい酒を飲みながら。

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2008年9月20日 (土)

ニューヨーク!ニューヨーク!「ハンバーガーは世田谷で」

PhotoNYCの友人夫妻の帰国が近づいている。萬来軒で帰国祝いのパーティだ!ご近所の友人夫妻宅でじっくり飲まなきゃ、うぅ〜ん、仲間たちと一緒に温泉にも行きたいよなぁ・・・今からとても楽しみだ。そんなある日、文化村に勤める友人からコンサートのご招待をいただいた。「Symphonic NEW YORK 《ウェスト・サイド・ストーリー》《ラプソディ・イン・ブルー》」というタイトルの、オーケストラといろいろなジャンルのアーティストの競演。東京フィルと、オペラの錦織健、若干19歳でアポロシアターのステージに立ったヴォーカリスト清水翔太、ジャズピアニストの山下洋輔らが、NYCを愛したバーンスタインとガーシュウィンの楽曲を演奏、そして歌うというコラボレーション企画。NYCの街の雰囲気を感じることができる良いコンサートだった。

Photo_2NYCの友人夫妻を訪ねたのは、5年前のクリスマス。NYCで、ワシントンD.C.で、たくさんのクリスマス・ツリーを訪ねた旅でもあった。一緒にミュージカルを観て、リバーカフェやチャイナタウンで食事をして・・・。そんな彼らとの楽しい記憶が思い出される。「すっかりお腹空いたねぇ。今日は何食べて帰る?」コンサート終了後、お気楽夫婦のいつもの会話。食事もエンタテインメント。うぅ〜ん、「ヴィロン」はパリだし、「麗郷」は台湾、シモキタの「Aサイン」は沖縄かぁ・・・。「シモキタって言えば、ハンバーガーの美味しい店ができたって最近誰かから聞いたんだよねぇ」おっ!それだ。アメリカン、NYC気分だ!店の名前は「ヴィレッジ・ヴァンガード ダイナー下北沢」そう、面白本屋のヴィレヴァンが経営するカフェ。店の面構えは、いかにもアメリカン。できたばかりの店のはずなのに、何年も前からそこにあったような佇まい。いわゆる“汚し”で、時間の経過を演出している。

Photo_4内に入ると、古材を利用した落ち着いた内装。ほほぉ。なかなかアメリカンな雰囲気。まずはビールから。その名も「ブルックリン・ラガー」をオーダー。ひとくち飲めば、気分はすでにニュヨーカー。他にもボストンのサミュエル・アダムス、ベルギーのシメイ、ドイツのベックスなど、アメリカをはじめとして世界のビールがたっぷり。こりゃ嬉しい。妻はハワイのライオン・コーヒー。これまたアメリカン。「いらっしゃいませ。ハンバーガーお召し上がりでしたら、お薦めはこちらの4種類です」ふぅん、美味しそう。じゃあ、そのメルティなんたらハンバーガーと、フライドポテトと・・・「お客さま、ハンバーガーにもポテトは付いていますので、よろしければ他のメニューはいかがですか」おぉ!なんて良いヤツ。じゃあ、シーザーサラダください。「ありがとうございます」

Photo_3 ぅん、良い感じだね。「うん、確かに。サービスはアメリカンじゃないんだね」アメリカの(特にNYCの)サービス(接客)水準は、お世辞にも良いとは言えない。NYCの友人夫妻も零していた。日本だったらクレームもんだ!という接客に最初は驚いてもいた。そして、ハンバーガー登場。うん、溶けたチーズがと大粒のペッパーが抜群に美味しい。パテも、バンズも手作りの本格的な味だね。「うん。でも、本格的って言っても、アメリカよりきっと美味しいよね」確かに。アメリカで生まれたハンバーガーとは言っても、この繊細な日本人向きの味や作りは日本の方が確実に美味しい。三軒茶屋の「ベーカー・バウンス」といい、この「ヴィレッジ・ヴァンガード ダイナー」といい、サンマは目黒に限るように、ハンバーガーは世田谷に限る、のかもしれない。・・・お後がよろしいようで。

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2008年6月 8日 (日)

酒と料理と音楽の関係「サザン・ダイニング」

P1000175ートルズを聴きながら、冷え冷えの生ビールを飲み、かりかりの餃子を齧り、熱々のラーメンを啜る。そんなラーメン屋がお気楽夫婦の住む街にある。「むつみ屋」という北海道発のチェーン店。(但し、他の店でビートルズが流れているかどうかは知らない)中華料理激戦地区のこの街にあって、割とこの店に足が向くことが多いのは、美味しいからというよりもビートルズのBGMによって、私にとっての好感度が高いからと言える。餃子を一口食べた時に、次の曲の前奏が始まる。瞬間的に曲名が分かってしまう自分が嬉しくて、ビールをぐびりと飲んで悦に入る。独り『クイズ ドレミファドン!』の「超ウルトラ・イントラ・クイズ」状態。(ある年齢以上の方には分かる)

Photo_6ポーツクラブで汗を流した後に、2人が立ち寄る3軒の店がある。1軒は焼酎の専属ソムリエ?がいる「なかむらや」、もう1軒は無性に山盛りのシュー・ストリングス(フライドポテト)が食べたくなった時に向かうこぢゃれカフェ「YOGA BUZZ CAFE(用賀 バズ・カフェ)」。そして、サザン・オールスターズの曲が流れるイタリアン・ダイニング「サザン ダイニング」だ。茅ヶ崎の居酒屋とは違い、決してサザンのファンが集っているお店ではない。というより、サザンだけしか音楽が流れていないということに気がつかない客の方が多いかもしれない。店内の会話を邪魔しない程度のボリュームで、バラッド中心のサザン・ナンバーが切れ目なく流れる。

Photo_7ビールをくぃっと飲んで水分を補給し、アンティパストの盛り合わせをつまむ。美しく丁寧な盛付で、どれも美味しい。そこに「Oh!クラウディア」なんぞが流れてくる。その後はスパークリングワインを飲みながらお薦め料理を味わう。この季節はホワイトアスパラとグリーンアスパラが楽しめる「2種のアスパラ ゴルゴンゾーラソース掛け」が抜群。グリルした生のホワイトアスパラのしゃきしゃき感が堪らない。がっつりとお肉を味わいたい時には「骨付き子羊の香草パン粉焼」か「松阪ポークのグリル」うぅ~ん、「鴨の胸肉のワサビロースト」もジューシーで美味しいんだよなぁ。などと迷いながら、BGMで流れる「夏をあきらめて」を口ずさむ。自然に料理と酒にサザンが溶け込む空間。飲んべで、食いしん坊で、サザン好きの私の“お気に入り度”が高くなるのも必然。

Photo_2調べてみると、USENがJ-POPのアーティスト単独の番組を提供しているのはサザンと松任谷由実だけ。(「むつみ屋」もUSENなのだろう)海外アーティストの単独番組はビートルズ、E・クラプトン、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランなど錚々たるメンバー。しかし、どのアーティストでも飲食店が成立しそう。ビートルズは(決してラーメン屋ではなく)無国籍でヘルシーで美味しい料理と、お酒ならなんでも本格的に揃う眺めの良いレストラン。クラプトンなら、落とし気味の照明の中でアンプラグドのギターが泣くこぢゃれたバー。ディランなら、バーボン中心の決して美味しい料理は出さないパブ。ストーンズは紫煙立ち込める会員制バー。そして秘密の扉のさらに奥では・・・。「私はストーンズは嫌だな。曲も知らないし。YUMINGなら、美味しいカフェかな?」と妻。どの店もちょっと魅力的。

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2008年5月24日 (土)

重大すぎる発表「サザン活動休止」

Photo979年8月4日。私は江ノ島ヨットハーバーにいた。前の年にデビューしたあるバンドを観るために。暑い夏の日。缶ビールを飲みながら、特設会場でのんびりとその演奏を聴いた。『JAPN JAM '79 at 江ノ島 』という野外フェス。そのバンド以外には、ビーチボーイズ、ハートなど。でかくて邪魔な横須賀の米兵たちが大勢観に来ていた。バンドの名前はサザン・オールスターズ。1978年6月『勝手にシンドバッド』でデビュー。当時はコミックバンドか、一発屋的な扱いも受けた。当時ヒットしていたのは、久保田早紀『異邦人』、クリスタルキング『大都会』、海援隊『贈る言葉』、ジュディ・オング『魅せられて』・・・そんな時代。あれから30年。

Photo_2988年6月25日。私は四国松山にいた。当時在籍していた前職の企業で、SAS全国ツアーのプロモーションをするために。原由子の出産などでしばらく活動を休止していたSAS。そしてデビュー10周年の6月に復活。「6月25日はSASの日」と銘打って全国各地の公演チケットを一斉発売。『~真夏の夜の夢~サザン・オールスターズプレゼンツ 1988大復活祭』というコンサートツアー。東京と大阪にしか拠点がなかった当時、臨時のコールセンターを松山に設置。地元イベンターやメディアと連携してチケットの販売を行った。当時ヒットしていたのは、光GENJI『パラダイス銀河』、森川由加里『SHOW ME』、工藤静香『MUGO・ん・・・色っぽい』、そしてSAS復活の『みんなのうた』は小林武志がアレンジとプロデュースに参加・・・そんな時代。あれから20年。

Photo_3998年6月17日。私は病院の手術室にいた。大腸ポリープが大量に見つかり、そのいくつかを摘出するために。内視鏡で自分の大腸をドクターと一緒に見ながら「あぁ、この先端はどうかなぁ。組織検査をしますが、まぁ98%は癌の心配はないでしょう」おいおいっ!残り2%は?インフォームド・コンセントは正しくね!・・・2%のリスクが回避され、無事退院。妻と一緒に祝杯を上げ、勢いでふたりカラオケ。妻はYUMINGを歌い、私はSASを歌い続ける。病室でいろいろ考えたことを頭の隅に置きつつ。『お願いDJ』『茅ヶ崎に背を向けて』『栞のテーマ』『Oh!クラウディア』『真夏の果実』・・・止まらない。当時ヒットしていたのは、SPEED『my graduation』、SMAP『夜空ノムコウ』、Kiroro『長い間』、GLAY『誘惑』・・・そんな時代。あれから10年。

Photo_40年というのは、こうして振り返ると思ったよりもずっと長い。その間、ずっと(たまに休みながら)走り続けたSAS、というか桑田佳祐。同じ時代を一緒によたよたと走ってきた私としても、淋しいというよりはお疲れ様、という気持。30年間も同じテンションで音楽に向かい合うのは大変なエネルギーが必要。30年仕事続けるって大変だもんなぁ。でも、大丈夫。変らずにSASの楽曲は残る。60歳を超えた団塊世代がビートルズを口ずさむように、きっと私は60歳になっても、70歳になっても、カラオケでサザンを歌っているジジイになっているはず。それにしても、お気楽夫婦のライフスタイルは、どこまで変らずにいられるんだろうね。「何言ってんの。70歳になってもスカッシュやるよホテル泊まり倒すよ!」と妻。はいはい。

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2008年2月16日 (土)

大人買い「THE POLICE」

Photoティングが、いちばん好きなヴォーカリストかなぁ・・・」そんな妻のセリフは意外だった。かつて持っていたLPを全て売り、CDに買い換えたアルバムを中心に、わが家には数百枚のコレクションがあるものの、「THE POLICE」のアルバムは1枚きり。「あの頃は貸しレコード屋さんでアルバムを借りてダビングするか、エアチェックしてたなぁ。カセットほんとにたくさん持ってたよ♪」え、貸しレコード屋さん、知ってる世代だっけ?そうか、妻も同じだったんだ。80年代、2人は共に“カセットテープ”で音楽を聴いた学生時代を過ごしていた。その頃持っていたテープは今はないし、もしあったとしてもカセットテープを聞く「装置」もない。そんな2人のCDコレクションから抜け落ちてしまったアーティストたちの中に、「THE POLICE」はいた。じゃあ、ポリスの来日公演、行こうよ!(ちょっと高いけど)「うん、良いよ♪」えっ!行くの?良いのか?13,000円×2枚!

の日は朝から「WALKING ON THE MOON」が頭の中で、ずっとリフレインしていた。繰り返し、繰り返し、STINGが歌う、甘く、高く、太く、セクシィな声が聴こえていた。「Walking on , Walking on the moon . Some may say・・・」甘くほろ苦く、ちょっと胸が軋むような、20歳の頃の情景を思い出させるヴォーカル。妻は「EVERY BREATH YOU TAKE」が好きだったという。ふぅむ。どんな思い出があるのかは知らないけれど。

Every breath you take
And every move you make
Every bond you break,
Every step you take
I'll be watchin' you

・・・中略

Since you've gone I been lost without a trace
I dream at night, I can only see your face
I look around but it's you I can't replace
I feel so cold and I long for your embrace
I keep cryin', baby, baby, please

・・・当時、そんな風に好きだった女の子がいた。(どうも今日はしみじみしてしまう)あ、ちなみに、妻のことはこんな気持では表せない程好きになったのは言うまでもない。

Photo_2THE POLICE、27年振りの来日公演。お気楽夫婦はそれぞれの思いを胸に東京ドームに向かう。席はこんな時に限ってアリーナ。スタンドでのんびりビールを飲みながら聴きたかったのになぁ。それでも紙コップのビールを抱えて座席に向かう。周囲は同世代と思しきカップルやグループでいっぱい。辿り着いた場所は<プレミアシート>に向かう通路のすぐそば。見知った顔が何人か目の前を通る。前職の会社の懐かしい顔も何人か。ふっと客電が消える。うぉ~という声が東京ドームを包む。1曲目「MESSAGE IN A BOTTLE」の前奏が始まると、皆自分の年齢を忘れて思わず立ち上がる。「DON'T STAND SO CLOSE TO YOU」、「EVERY LITTLE THING SHE DOES IS MAGIC」懐かしい曲の演奏が続く。うぁ、涙が出そう。「DE DO DO DO DE DA DA DA」のサビを一緒に口ずさむ。「ROXANNE」で演奏終了。あ、ほんとに水分が滲んできた。やばっ。

Photoさか公演中、ずっと立ってないよね?」演奏の合間、妻が心配そうに呟いた。ところが、中途半端に元気な世代。アンコール最後の「EVERY BREATH YOU TAKE」と再アンコール「NEXT TO YOU」まで、一度も座ることなく、ちょっとお疲れ気味ではありながら聴き続けた。もちろん妻も。「スティング、若々しいよねぇ。いくつになるんだろう?」スティング、56歳。ベースを弾く姿はまだまだセクシィでエネルギッシュ。チラシの若き日の写真のようにはジャンプできなかったけれど。「良いライブだったね。やっぱり良いね、スティング」ちょっと遠い目になる妻。それぞれに過ごした20代までのいろんな思い出を抱えて、たまにこうして掘り返して、今度は2人の思い出に変えて、お気楽夫婦の“お気楽な時間”は過ぎていく。ポリスのオリジナルアルバム、全部買っちゃう?「良いねぇ♪さっそくAmazonで・・・」1978年にアルバムデビュー、1984年に活動停止したポリスの活動期間は意外と短く、オリジナルアルバムは全部で5枚。よしっ!まとめて買って一緒に聴こうか。

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2007年12月 9日 (日)

オヤジたちのクリスマス「ジョン、ボンゾ、そしてワム!」

Photo1980年12月8日、NYC。ヨーコと一緒に住むダコタ・アパートの前でジョンが殺された。彼がこの世を去ってからもう27年前になるのかと愕然とする。そしてこの季節になると「Happy X'mas (War Is Over)」が街に流れ、あぁ今年ももうすぐ終わりだなぁとしみじみしてしまう。12月8日は冬の訪れを、クリスマスが近づく慌しさを、そしてもう1人のジョンを思い出させる。ジョン・ボーナム。レッド・ツェッペリンのドラマーだったボンゾも同じ1980年の9月25日に亡くなった。ウォッカを飲み過ぎ、眠りながら嘔吐し、吐瀉物が喉に詰まって。窒息死。まったくボンゾらしい死因。1980年は2人のジョンの死と共に、愛する音楽の死が訪れた年だったのかもしれない。あんなに懸命に音楽を聴いたのはもう遠い日々。私にとって音楽はすっかりBGMになってしまった。

ところで、お気楽夫婦の住むマンションの近くには中華料理屋、ラーメン屋がやたらと多い。その中の一軒に、なぜかビートルズだけを流しているラーメン屋がある。(たぶん有線のビートルズ専門チャンネル)それを理由のひとつにその店をチョイスする確率が高い。休日の昼下がり、最初に餃子をオーダー。続いて生ビールを頼み、餃子が焼けるのを待つ間にメンマをつまむ。きりきりと冷えたビールをぐびぐびと飲みながらジョンのヴォーカルを楽しむ。おっ、この曲は「She Loves you」のフランス語版じゃねぇ?と唸ったり、「Eight Days A Week」を一緒に口ずさんだり、超イントロで曲名を当てたり。至福の時。あぁ、つくづくオヤジだなぁと浸み入り、オヤジであることを楽しむ時間。

Photo_2そんなオヤジに大人買いをさせる企画が街に溢れている。私にとってかなり危険な情勢。例えばこのCD企画。LED ZEPPELINの「MOTHERSHIP」。成城コルティの山野楽器の入口付近に平積み。これは一種の地雷である。店に入った瞬間に私はそこに釘付け。なんでボンゾがこんなに痩せてるんだぁ?ロバート・プラントがこんなに若いんだぁ!え、ジミー・ペイジによるリマスターのベストアルバムでDVDのライブ映像付き?え、買います、買いますっ♪さっそく自宅に戻るとウキウキとテレビの前に陣取る。リビングのパソコンで持ち帰り仕事をしている妻は迷惑そう。でも気にしない。そんなの・・・♪ジミー・ペイジのギターが、ジョン・ポール・ジョーンズのベースが、ボンゾのドラムが、そしてロバート・プラントのヴォーカルが、音だけではなく映像で私の前に。嬉しい。こりゃぁ宝物。

「さすがにうるさいんですけど。止めてもらえないかな」妻がこぼす。へいへい。後でこっそり独りで観ますよ。さすがに私もビートルズやツェッペリンをのアルバムを同時代に買った訳ではない。ZEPを新譜で買ったのは1979年発売の「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」以降。ましてや妻はレッド・ツェッペリンは“レッド(赤い)”飛行船だと思っている世代。LEDですよ。仕方ない。そうだ、気分転換に今日は夫婦カラオケ行かない?「良いよ♪」歩いて30秒のカラオケボックスに向かう。何曲か今どきの楽曲を選んで二人共沈没。コブクロのキーはちょい高い。ケツメイシのラップの部分に付いて行けない。う~む。そして終盤、ジョンを偲んで「Happy X'mas (War Is Over)」を歌うと、妻はすかさずワム!の「ラスト・クリスマス」をリクエスト。・・・あんまり世代変らないんじゃない?

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2006年6月17日 (土)

食事の後は・・・「カラオケ三都物語」

P101089420年ほど前、カラオケボックスは日本にまだなかった・・・と言っても、今や誰も信じないだろうけど、日本初のカラオケボックス登場は1985年。岡山にできた貨物用コンテナを改造したものだった。その頃、20代の私は、仕事を終えて一杯飲んで、「カラオケでも行くか!」というと、新宿3丁目の<テアトロン>というステージ付きの専門店で順番を待って歌うか、2丁目の<テアトロン2>という姉妹店(カセットテープで何千曲も揃っているような店だった)で朝まで歌うか、<甲山>というオカマバーでマスター(ママ)に身体を触られながら歌うか、というのが常だった。

1990年。出張先の台北で、衝撃的な出会いをした。<K-TV>と呼ばれるカラオケボックス。店の名前は<銭箱(キャッシュボックス)>。倒産したホテルを改装して、今では当たり前の室内電話でドリンクをオーダー、自分で選曲というシステムを個室でサービスしていた。「便利だねぇ!これ、日本でも流行るんじゃない?」台北で夜な夜な、怪しい北京語で<チャゲ飛>の『万里の河』とかを絶唱し、“Mr KTV”という名を欲しいままにした。そして翌年、日本でもカラオケボックスが大ヒット。今でも思うことがある。あの時、私に独立の気概と、資金があれば・・・。人生はそんなものである。

2002年。私は上海と香港の出張で明け暮れていた。香港では、あるIT企業とJVの構想。打合せの後、社長の行きつけの広東料理店でワインを誉めるとラベルをいただき、“紅酢”を誉めると瓶ごとおみやげにいただいた。玉置浩二ファンだという彼は、自分の車の中でも<安全地帯>のナンバーを流し続けていた。そこで私は、連れて行ってもらった二次会の高級カラオケスナックで玉置浩二の楽曲を歌い続け、絶賛された。そして、なぜかプロジェクトは見事に頓挫した。

2006年。スカッシュ仲間と二子玉川にあるヴェトナム料理<ジャンズ>で食事。美味しい料理に調子づき、二次会はカラオケボックスへ。メンバーはなかなかの歌上手。GO!GO!と、盛り上がっているところに、見覚えのある顔が通路側の窓からのぞく。同じスクールのスカッシュ仲間で、酔っ払いの仲間たち。ありゃりゃ。一緒に来たメンバーとエレベータの前で別れた後に、彼女たちの部屋へ戻り、カラオケのはしご。採点システムで盛り上がる体育会系カラオケ。<コブクロ>を歌って玉砕する。・・・カラオケとはもう、20年以上のお付き合い。上手かろうが、下手だろうが、“歌う”ってことは、気持良い。さて、今日は“SAS”と“Yuming”のみ限定の、夫婦カラオケでも行きますか!

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2006年4月23日 (日)

どちらが買い?「倖田來未BEST」

P1010556_1お気楽夫婦の週末のリビングでは、音楽系のTV番組が流れ続けている。MTV、スペースシャワーTVなどのチャート番組。新聞を読みながら、持ち帰りの仕事をしながら、ブログの記事を書きながら視聴。BGMというよりは、BGV。音楽だけでも良いけど、映像があることで“音の印象”が深くなる。気になる“メロディ”が耳に入ると、読みかけの新聞から画面に視線が移る。

80年代のビデオクリップ全盛の頃、音楽がもっと身近にあった。<BEST HIT USA>で小林克也の声を聴きながら、毎週のチャートイン曲を楽しんでいた。(入院したという小林さん、お元気でしょうか?)それぞれの楽曲の印象に、その頃の自分の記憶とビデオ映像がダブる。深夜番組で「懐かしの'80名曲の数々。レーベルを超えた特別企画、CD10枚組みを今なら14,800円!」とか、良くあるCFを観ながら、「惜しいなぁ、これでDVDとかで映像付きなら倍の値段出しても“買い”なのになぁ・・・」と呟き合う日常。CDショップでそんな企画モノDVDを探したことも何度か。

しかし、ようやく期待できる作品が出始めた。昨年後半にブレークした倖田來未。“エロかっこイイ”のキャッチもすっかり定着。立て続けにリリースされた彼女のベストCD2枚組みは、いずれもDVD付き!それも、オリジナル映像そのままを集めたクリップ集。昨年の<Best ~first things~>は、デビューから(当時の)最新ナンバーまでリリース順に映像が並び、彼女の変化が楽しめる。そして<Best ~second session~>は、12週連続リリースしたシングル曲を中心に。それぞれ映像作品としても楽しめ、お得。・・・なのに、価格は通常のCD並み。こんな企画を待っていた!もちろん“買い!”

<ポルノグラフィティ>、<Hitomi>、最近発売の<スピッツ>も、ベスト盤を購入。(でも残念ながら通常のCDのみ)最新のアルバムを追いかけるアーティストが少なくなり、気に入ったアーティストのベスト盤発売を待つというライトユーザー化してしまった。それはそれで淋しいが、だとしたらなおさら、“ベスト盤+ビデオクリップ集”という、二人にとっての“ベスト盤”が定着して欲しい。

「老後の楽しみとして、一緒に映像観ながら音楽聴けるDVDがあると良いよね」「そうそう、あの頃はとか言いながら?でも新しいものもキャッチアップしたいなぁ。<WaT>のウェンツ君、可愛いよ」・・・妻は、タレ目のバター顔好き。CATVで録画した<スピン・シティ(マイケル・J・フォックス主演)>のビデオが大量に保管されている。このGWにDVDで保存し直すという計画。(この映像も老後の楽しみらしい。一緒に観るのは・・・)

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2005年11月20日 (日)

クリスマスの記憶「マライア・キャリー」

PIC_0173「好きなクリスマス・ソングは何?」・・・そう聞くと、人それぞれに、いろんな曲が出てくる。その答えで、世代が分かったり、音楽の嗜好性が分かったり、実に面白い。妻に尋ねたら、ワムの「ラスト・クリスマス」か、松任谷由実「恋人がサンタクロース」。なるほど。自分に問えば、ジョン・レノン「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」か、マライア・キャリーの「All I Want for  Christmas is You(恋人たちのクリスマス)」。山達の「クリスマス・イブ」も外せない。う~ん、それぞれいろんな思い出がそれぞれ詰まってるなぁ。

この秋に転職した先のオフィスビルのパティオには、かなり大きなクリスマス・ツリーが飾られる。点灯式は11月17日(木)。ボジョレー・ヌーヴォー解禁日。管弦三重奏のライブと共に、ワインの試飲をやっていた。残念ながら夕方から取引先に出かけたために、試飲の風景を横目で見ながら駅に急いだ。(もちろん仕事の後、しっかり飲んだ。)

クリスマスツリーと言えば、NYCのロックフェラー・センターや、ワシントンのホワイト・ハウスのクリスマス・ツリー。振り返れば、その二ヶ所も含め、数々のクリスマス・ツリーを眺めてきた。台北のリージェントホテルで、香港のグランドハイアットで、パリのホテル・リッツで。そして日本でも、代々木競技場前のドリカムがプロデュースしたツリー、日比谷花壇本店横のツリー、などなど、いろいろな思い出がある。そして、そのBGMは・・・。

そう、記憶の風景には音楽が流れている。そして、マライア・キャリーの名盤「Merry Christmas」には、いろんな記憶の風景が交錯する。その中でも、「All I Want for  Christmas is You」には・・・、うぅ~ん、お伝えできないのが残念。人には、大事にしまっておきたいクリスマスの記憶がある。この曲には、そんな思い出が・・・。(念のため、妻に聞いたら、「あらら?何だっけ?」・・・。)辛いことを忘れることができる、一緒に暮らすには実に良いやつだけど、幸せな現在が一番大事だから過去の幸せは忘れてしまう、そんなやつ。

てな訳で、今回の記事は“コメント受付あり”の設定。クリスマス・ソングの思い出が聞いてみたい。そんな気分。よろしかったら、どうぞ。

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2005年11月15日 (火)

ジョンの死「レッド・ツェッペリン」再掲

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「ジョンが死んだって!」友人が悲壮な声で言った。 「え?今ごろ何言ってんの?」「殺されたって。」「・・・そうだなぁ、酒に殺されたようなものだなぁ。」 「ダコタ・ハウスの前だって。」「・・・ん?えっ!ジョン?たいへんじゃん!」 そこでようやく、彼の言うジョンがレノンで、私の言うジョンがボーナムだということに気付いた。 1980年の冬のことだった。

レッド・ツェッペリンの名前は知っていた。しかし、レコードを聴いたことはなかった。 アテネ・フランセで知り合った可愛い女の子の口から、その名前が出た日の午後、 私は御茶ノ水のディスク・ユニオンに走った。 もらったばかりのバイト料で買えるだけのアルバムを買った。 そしてその夜から毎晩、聴きまくった。1976年の春、彼らがデビューして8年も経っていた。

遅れてやってきた“にわかZEPファン”は、動機が不純なだけに、すぐにのめり込んだ。 「移民の歌」「タンジェリン」、ロバート・プラントのボーカルが胸に染みた。 三大ギタリストの中ではジミー・ペイジのギターが一番好きだとうそぶいた。 「モビー・ディック」、ジョン・ボーナムのドラムスに塞いだ気持が救われた。 穂高のザイテングラートを登りながら、「天国への階段」を口ずさんだ。 ・・・不純な動機は既に昇華されていた。

ウォッカを飲みすぎ、自分の吐瀉物で喉を詰まらせ、亡くなったボンゾ。 1980年9月のことだった。 前の年に発売された久しぶりのアルバム「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」が 私にとって最初で最後のリアルタイムで購入した一枚となった。 ジョン・レノンが亡くなった数日前にレッド・ツェッペリンは解散を宣言していた。 ツェッペリンに出会うきっかけをくれた可愛い子は残念ながら大切な友人となった。そして残念ながら ライブを観ることはできないけれど、ツェッペリンは 繰り返し聴き返す大切なアルバムとして残った。

・・・1980年9月にボンゾが亡くなり、12月にZEPが解散。同じ月にジョン・レノン没。あれから25年です。もうすぐ12月。ちょっと寒い夜、そんな記事を再掲してみました。

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2005年10月10日 (月)

27年目のSAS「KILLER STREET」

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1978年。「勝手にシンドバッド」でSASがデビューした年。その春、大学に入学した私は貧乏な学生だった。今と違って(今思えば)住んでいたア パートの部屋には、お風呂も、電話も、トイレさえも付いていなかった。それが普通の大学生の1人暮らしだった。聴きたいLPの全 てを買うことができないから、「週間FM」とか「FMfun」とかの雑誌を買い、“エア・チェック”した曲をカセットテープに録音した。あるいは、貸しレ コード屋で借りてきたアルバムをダビングした。i-podどころか、ウォークマンもない時代。

そんな時代から、ずっとトップミュージシャンだった彼らの奇跡。2ndアルバム「10ナンバーズ・カラット」は繰り返し聴いた大好きなアルバムだった。79年に江 の島のヨットハーバーで開催された「ジャパン・ジャム」というライブにも行った。大学を卒業した83年には、SASの音楽を使ったTVドラマ 「ふぞろいの林檎たち」が人気だった。85年の活動休止とKUWATA BANDでの活動の頃に最初の転職。88年の復活の際には、彼らの久々の全国ツアーに自分の仕事で関わった。そして今では、カラオケのレパートリーにSASが並ぶオ ヤジになった。・・・ずっと、彼らの音楽が傍にあった、27年。

ずっと現役でいること。これは凄いことだと思う。彼らを“現役のナツメロバンド”という呼ぶ人もいる。でも誰が同じことができよう?ワンフレーズ聞 いて桑田の声だ、SASの曲だと分かることは、ワンパターンなのではなく、積み重ねと継続の結果だ。過去のナンバーではなく、新しいメロディを紡ぎ世に出 し続けることの凄さ。ずっと枯れずに、(枯れても良いかも)活動し続けて欲しい。「望まれれば、どこでもプレーします」という、野茂やカズの生き方が好きな 私としては、彼らの活動もまた賞賛。

「アビーロード」を髣髴とさせる、7年ぶりのニューアルバム「KILLER STREET」は、迷わず買った。この週末、桑田節を繰り返し聴いている。やっぱり新しいけど懐かしい。“ナツメロ・バンド”?すでにシングルカットされ、CFで使われている曲が多いからでもあるが。中でも沖縄’nの空気が溢れる楽曲「神の島遥か 国」がお気に入り。(ビデオクリップの宇宙人のキャラが大好きということもある)♪NIGHT & DAY 君とやり放題 泡盛で古酒飲み放題♪あれは神の島・・・。早々にマスターしてカラオケで歌わなきゃ。

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2005年9月25日 (日)

頭の中でリフレイン「あの頃、あの曲」

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初めて聞いた瞬間に、がつんと脳天を直撃される楽曲がある。ここ何年かの私の傾向では、女性ヴォーカル。それも日本人アーティスト。椎名林檎の「ここでキスして」。 LOVE PSYCHEDELICO「LAST SMILE」。元ちとせ「ワダツミの木」。平原綾香「Jupiter」。いずれも、MTVなどの音楽系衛星TV局がヘビーローテーションで流していた際に 出会った曲。BGM(BGV)として、新聞を読みながら、なんとなく聞いていた音楽。そこに、突然“がつん!”というパターン。いずれも、ヒットチャートに入る前に、「良いよ、来るよ、これ。来る。」と友人 に盛んに勧めた。自分の耳の奥では、そんな間もずっとその曲が流れていた。

音楽に一貫性がある訳でもなく、ビジュアルにやられた訳でもない。10代の頃に、ラジオの深夜放送を聴いていた、愛川欽也が“あなたの街の宣伝本部長”だったり、みのもんたが奥さまのアイドルだったりするのが信じられない世代。彼らがラジオの人だった時代。その頃からずっと、耳に飛び込んできた気になるメロディが頭の中を離れず、リフレインしてしまう傾向がある。リフレインと言えば、学生時代に荒井由実の「12月の雨」を初めて聴いた瞬間も新鮮な驚きだった。凄い才能だと直感した。・・・歌は下手だけど。大滝泳一の「カナリア諸島にて」、甲斐バンド「翼あるもの」・・・。なんか、青春の歌シリーズ、深夜のTV通販で6枚組みCD、7,980円!ただ今この電話番号で受付中!みたいで、恥ずかしくもなるけれど、それもまた、やっぱり忘れられないメロディ。

音楽に親しんできた年月。今も耳に残り、心に響き、頭の中でリフレインする楽曲があるのが嬉しい。先日整理したCDコレクションには、ビートルズや、ツェッペリン、YES、SAS、Yumingなどのメジャーどころと一緒に、椎名林檎、 LOVE PSYCHEDELICO、元ちとせ、Hitomi・・・そんなアーティストのアルバムがしっかりあった。ポルノ・グラフィティ、フリッパーズ・ギター、ケミストリーなども。う~ん、ほんとに一貫性がない。ただのミーハー?・・・あ、そういえば、森高千里もいっぱいあった!やっぱり、ただの・・・。

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2005年8月 1日 (月)

立ち止まり、休憩「大人のナツヤスミ」

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大人のナツヤスミを楽しんでいる。8月末で会社を辞め、9月から別の企業で仕事をすることにした。夏休みが終われば“転校生”という訳だ。現在は、その狭間でちょっと休憩中。とは言ってもやるこ とは盛りだくさん。心配だった大腸の内視鏡検査をやったり、母親を見舞ったり、今の会社に在籍した19年間を総括したり、テロに怯えつつロンドンにも向かおうとしている。汚 れが気になっていたダイニングテーブルの塗り替えも実行。作業時間は4時間。一枚板のテーブルが淡いキャメル色の艶で輝いている。満足。

総括の作業をしながら持っているCDを全部聴き直そうともしている。最近の楽曲は映像付でBGM的にMTVなどで聴くことが多いため、買ったCDの大半は過去に聞いた懐かし系がほとんど。“総括”のBGMとしては、実にフィットする。聴き入って作業の手が止まり、遠い目になっていまうこともある。★写真は「ベストヒットUSA」を意識してみた。

“総括”と言っても、自分の19年間を反省したり批判したりするものではない。立ち止まれず、漠然とした印象で把握していた“自分”を振り返り、客観的に認識する。どんな芝居を観たか、どんな場所へ行ったか、どんな仕事をしていたか、そ んなことを整理し、まとめている。例えば、19年間に観た芝居は約300本。劇場で観た映画は150本余り。演劇、映画、コンサート、美術展など、計600本 以上。月に1本以上は芝居を観て、10日に一度は何かの会場に足を運んでいたことになる。出張は通算で400日余り。その内、海外は75日。1年で100日間も出張した年もあった、などなど。・・・これが実に、楽しい。

これらを私は“夏休みの自由研究”と呼んでいる。「こんな宿題だったら毎年でもやりたいなぁ。」そう呟くと、妻が言った。「引退したらいくらでもできるんだから、早く引退できるように頑張らなきゃね。」・・・はい、了解しました。ナツヤスミが終われば、新しい“学校”と厳しい“校長”が待っている。

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2005年7月 2日 (土)

コングさんがやって来た「コング桑田」

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その人の名は“コング桑田”。まだまだマイナーな役者でシンガー。 彼が所属する「リリパット・アーミー」の舞台で初めて出会った。 小劇場の舞台とは言え、突然ステージで脈略なく(実はあるのだろうが)歌い始めた。・・・衝撃的だった。 それも女装した役だったのに、きれいな低音のバリトン。・・・これが実に上手いのだ。 フレディ・マーキュリーを関西人にして、お笑い中心の小劇場の舞台に立たせたような人、なのだ。 網タイツ、ボンデージが巨漢で髭の風貌に良く似合う。・・・そんな彼のライブに行って来た。

30人ほど入れば満席の、新宿の小さなライブ・ハウス。 コングさんはもうステージ横で飲んではる。(なぜかインチキ関西弁。) 友人と妻の3人で、入口近くの席で控えめにライブを見守る。 ライブの前のトーク。友人、爆笑の連続。・・・ツボに入った模様。 こうなると箸がころんでも爆笑。目立つ。コングさんとチラッと目が合う。 ライブは「ワンダフル・ワールド」などのスタンダード・ナンバー。 一回目のライブが終わり、コングさんが再度飲みに入る。・・・チャンス。 「彼を誘って一緒に飲もうか?声掛けてくるよ」 「行かなくて良いよぉ」「ダメダメ!」彼女たち二人とも止めには入るが、目は「お願い!」と言っている。 役どころが分かっている私は躊躇わず彼の席に向かう。お誘いすると、快くOK。

結果、初めは照れていた二人もコングさんの関西テーストのオフ・トークに喜びまくり。 すっかり打ち解け、「お話中すいません・・・」と、 スタッフにステージに上がるよう催促される始末。コングさん、良い人。 2回目のステージも「コングさんがやって来る」というオリジナル?ナンバーをはじめ、コング節絶好調。 次回のライブは8月にやりたい、というトークに思わず手帳を開く二人。 あらら、握手までしてるやん。こりゃ、次に会った時には数年来の友人のように、ハグするやろな、あの二人。 ・・・今までステージの向こうにいた、コングさんがごっつぅ近くにやって来た。 「ほな、また飲みましょな」・・・最後までインチキ関西弁の私。次のライブもご一緒します。

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