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2009年1月の記事

2009年1月31日 (土)

Bunkamuraの20年「パイパー」野田地図

Photo卒で入社したのは、「不思議、大好き。」とか、「おいしい生活。」とか、「じぶん、新発見。」などの糸井重里のキャッチコピーでお馴染みだった百貨店。今やコンビニの売上に負けてしまったけれど、当時の百貨店はまだまだ元気だった。男女雇用機会均等法が施行される前、女子大生の就職先として人気のその百貨店も実に元気だった。“総合生活産業”を標榜し、単なる流通グループではなく、文化を売る企業グループだと、今は作家生活を送っている当時のT会長は言っていた。グループ内に美術館、劇場、映画館、カルチャーセンターなどの“文化施設”を抱え、文化事業部というセクションもあった。とは言え、実態は流通。流通志望で入社した訳でははなかった私が在籍したのは数年程度だった。そしてそのグループは陽炎のように消えようとしている。

職したのは情報誌を発行しているベンチャー企業。私がアテネフランセに通っていた頃、教室の窓から小さな看板が見えた。その会社がいつの間にか大きくなり、新たに始めたのが日本初のコンピュータ・チケッティング。私が在籍した百貨店と一緒に事業をスタートするはずだったのに、直前に裏切られ・・・という話を聞いたのは入社してからだった。数年後、その百貨店とライバル関係にあった東急百貨店が本拠地渋谷に大プロジェクトをスタートさせた。複数の劇場、映画館、美術館などの複合文化施設を本店の隣に創るというものだった。当時はまだ珍しかった“オフィシャル・サプライヤー”というサポート企業を集め、運営するというスタイル。地下からの吹き抜けを、アート系の書籍を多く集めるブックショップ、「カフェ・ドゥ・マゴ」、シアターコクーン、オーチャードホールなどが取り囲む実に良い空間が完成した。“文化”は、ビジネスにはなり難い。しかし、東急は明確なコンセプトの基、その“村”を20年運営して来た。決して経営は楽ではなかった(と勤務する友人にも聞いている)とは思うが、その功績に拍手を贈りたい。

Photo_2 急文化村は、当初からフランチャイズ・システムを採り、オンシアター自由劇場(現在は任期満了)や東京フィルなどがフランチャイズ契約を結んだ。また、劇場ごとに専任プロデューサーを置き、独自の企画・運営を行って来た。そこから中島みゆき「夜会」、「渋谷・コクーン歌舞伎」、「東急ジルベスターコンサート」、蜷川プロデュースの舞台などの名物公演が生まれた。お気楽夫婦が最も足を運んだ劇場でもある。そして、野田秀樹が主催する「NODA MAP」も第1回公演からずっとシアターコクーンを中心に芝居を行ってきた。人気であるが故に全公演のチケットはゲットできなかったのが残念だけれど、「キル」「ローリング・ストーン」「半神」「パンドラの鐘」「贋作 罪と罰」「カノン」「ロープ」など、多くの舞台を観て来た。ということで、野田地図(NODAMAP)第14回公演「パイパー」を観た。

台は1000年後の火星。これまでは過去の歴史を野田流に紡ぎ直すことが多かった野田芝居。今回も実際に起る未来の歴史を紡ぎ出すような独特の野田の世界は変わらない。パイパーと呼ばれる生命体と、火星に降り立った最初の移民たちの群舞が凄い。ぞくぞくモノ。振付のコンドルズ 近藤良平が凄い。鳥肌モノのパイパーダンス。そして、何よりも松たか子と宮沢りえが凄い。圧巻は、永遠に続くのではと思う程の2人の掛け合い台詞セッション。廃墟となった火星を彷徨う2人が目にしたものを、短く、鋭く、時に長台詞で語るシーン。2人の台詞で、そこにどろどろの海が現れ、傷ついた人が現れ、熱い風が現れ、赤土の大地が現れる。2人の才能の組合せはどんな芝居になるのだろうと思ったけれど、期待以上。舞台の上で世界が熱く燃え溶けるような化学反応が起きた。こんな贅沢な配役で、脚本が書けるのも野田秀樹なればこそ。こんな舞台が観られることに感謝。20年を経ても、まだまだ元気なBunkamura。これからも頑張って♪

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2009年1月25日 (日)

さよならバニー『PLAYBOY』終刊

Playboy誌文化が大きな転換期を迎えている。情報誌も、女性誌も、マンガ誌も、総合誌も、それぞれがたいへんな局面。老舗雑誌の休刊が相次いでいる昨今。主な休刊だけで、『読売ウィークリー』『月刊現代』『ロードショー』『主婦の友』『広告批評』『論座』『GRACE』『Lmagazine』などなど。その背景のひとつとして活字離れが叫ばれるけれど、ネットやケータイも広義の活字文化ではある。同様に日本語の乱れを指摘する声もあるけれど、ことばは時代と共に変わるもの。当然メディアの形態も変わって行く。けれど、この雑誌の終刊(一般的には“休刊”ということが多く、復刊することを示唆するのだけれど、彼らは終刊と明記している)は、大げさに言えばひとつの時代の終わりを感じてしまう。

メリカ文化に対する“憧れ”の時代の終わり。ベトナム戦争が終結した年に創刊された日本版PLAYBOY。アメリカはまだまだ遠い国だった。政治、経済、文化、スポーツ、あらゆる面で圧倒的なリーダーだった。日本ではもちろんヘアー解禁など想像もできない時代、プレイメイト(PLAYBOYにグラビアが掲載される女性たちをそう呼ぶ)たちは、遠い異境の女性にしか見えなかった。アメリカは憧れの国だった。そのアメリカは、日本版創刊から33年経った今、身近な国になった。アメリカがくしゃみをすれば、日本が風邪をひくと揶揄されるように、(日本からすれば)深い結びつきになった。しかし、アメリカの世界における相対的地位は低下した。そしてオバマ新政権の下、世界のリーダーとしての役割を“もう一度”果たそうともがいている。

Playboy_2 るいは、大人の雑誌文化の終わり。PLAYBOYには、硬派と軟派と、性と生と、カルチャーとサブカルチャーと、文学とノンフィクションと、そんな単なる対立項ではない雑誌文化が矛盾なく、実に魅力的に誌面に溢れていた。グラビア、ジャーナリズム、紀行、ロングインタビュー、対談、そしてパーティジョーク。パソコンやインターネットなど想像もできなかった時代、雑誌の情報は隅々まで読み尽くすものだった。(ちょうど『ぴあ』の“はみだしYouとPia”が人気だったりしたように)斬新な誌面レイアウトとデザイン、クオリティの高い写真、タイポグラフィ。切り抜かれた誌面を開くと隠されたビジュアルが現れる、思わずにやっとさせられる仕掛けなど。それらは、動画や音声など雑誌が実現できなかった表現形態を伴にして、サイトの世界に引き継がれた。

久保存版」と記された白い表紙の終刊号。思わず手に取り迷わず購入。30周年記念号の企画以来、久々で最後の購入。そう言えば、日本版創刊からしばらくは、このバニーマークだけが表紙を飾った。白地、黒地、金、ブルーなどの表紙にバニーが誇らしく記されていた。PLAYBOYが休刊することを妻に零すと「あれ?でも、これ最終じゃないみたいよ。“終刊前号”って表紙に書いてあるよ」やられた!確かに、永久保存版の下にも小さく「前編」とある。最後までやられっぱなしだった。そして、もちろん騙された(訳でもないけれど)ことすら嬉しく思いつつ、翌月の「終刊号」も迷わず買った。2冊とも実に読み応えのある内容だった。時代を振り返るアルバムのような、33年間のPLAYBOY文化のダイジェスト版だった。さよなら!PLAYBOY!さよなら!バニー!

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2009年1月24日 (土)

風邪にご用心『その日のまえに』重松清

Photo西高東低の気圧配置。冬の空気は乾燥している。そんな時に気をつけるべきは、火事と風邪。年末からの晴天続きですっかり乾燥しきった年始に火事が多かった。ちょっとした不注意からあっという間に火が回る。ある朝、起き出して窓の外を眺めると黒煙が上がっていた。火事のようだ。慌てて妻を起こす。幸いにも火はすぐに消し止められたらしく、高層マンションを包むように立ち昇った恐ろしいほどの煙はあっという間に収まった。やれやれ。先日も近くで大きな火事で亡くなった方が出たばかり。火の元の注意は細心に。外出しようと鍵を閉めた後に「あれ?電気ストーブ消したっけ?」と部屋に戻る妻を温かく見守る日々。

うひとつ気を付けるべき風邪。今年は風邪を引かないなぁと油断していた頃に喉が痛み出した。私の風邪は喉から来る“銀のベンザ”タイプ。加えて今年の症状は鼻水ずるずる。そんな症状の中、出勤前に病院に行き、処方された薬をもらい、通勤の途中で重松清『その日のまえに』を読み始めた。悪寒。指先が冷たい。けれど手袋をしたままでは上手くページがめくれない。仕方なく手袋を外し、かじかむ手をこすりながらページをめくる。4つの独立した短編、3つに分かれた短編「その日のまえに」「その日」「その日のあとで」という7つのショートストーリー。それぞれに共通するのは、“その日”。言い換えると、最期の日。それぞれの物語に登場する、幼かった頃の決して仲は良くなかった友人が、かつての教え子が、働き盛りの主人公が、母と息子のふたりの暮らしを守る大黒柱の母が、そして最愛の妻が、“その日”を迎える。

Photo_2 み始めてすぐに、しまった!と思った。風邪で弱った身体。ヤワになっている気持。そして何より登場する主人公たちが、同じ年代であること。物語に感情移入してしまう環境は充分に整っていた。元々、重松清自身が自分と近い世代ということもあり、彼の描く物語には身につまされるものが多かった。しかし、多くは子供のいじめの問題、親と子の関係など、子供がおらず親の面倒を弟に託す困った長男としては、さっと身をかわすことができるものだった。しかし、今回は不意打ちだった。思ったよりずっと早くやって来てしまった“病”によって“その日”を迎えてしまう登場人物たちが、私と同年代なのだ。働き盛りの主人公が告知を受けた日に向かう小学生時代に住んだ街。そこで出会ったかつての友人・・・そんな話まではまだごまかせた。私は風邪を引いているだけなのですという風を装って鼻をかんだ。目もちょっと赤いのは、熱もあるせいで・・・。

ころが、「その日のまえに」の連作を読み始め、偽装は諦めざるを得ない状態になった。止まらないのだ。堪えても、堪えても。これはいかん。良い大人が電車の中で嗚咽を漏らしてしまっては。すぐに読むのを止め、自宅まで封印。そして風邪でぼぉ〜っとした状態で、その日の業務を終え、帰宅。一気に読もうとした。しかし、読んでいる途中で止まらない。涙。もう風邪のせいなのか、涙のせいなのか、訳の分からない鼻水がずるずる。告知を受けた妻、夫婦でその日を迎えるまでの日々。そして、その日。さらにはその後を綴る身近な日々と心情。ティッシュでは追いつかなくなり、洗面所で顔を洗う。ふぅ〜っ。数年来、私自身も“その日”に向かう準備をしていた。母の病と死を経験し、父の老いを実感し、“勤め人”としての終わりを意識した時に、何を優先すべきかを意識し始めた。自分が不慮の事故などで突然“その日”を迎えてしまっても大丈夫かと自問する。よし、これだったら大丈夫と確認する。そのための、いろいろな準備。でも、逆に妻がとは考えもしなかった。だからこそ、そんな私にこの物語は辛かった。

も、“その日”が分かった方が幸せかもね」そうだね。残された時間が分かった方ができることは多いかもね。この本、読んでみる?「うぅ〜ん、良いや。乾いてなさそうだし。それに、風邪治ったら印象変わるかもよ」むむ、確かに。あざといとは言わないまでも、“泣かせ”はある。しかし、読後感はすっきりと爽やか。物語には救いがあり、登場人物たちは明るく、前に進もうとする力がある。もし妻が先に逝くようなことがあったら、この物語を読み返してみよう。「大丈夫!ぜったいないから」・・・まぁ、その方が幸せ。

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2009年1月18日 (日)

部屋とメザシと私「ザ・さかなや」

Photoの街に引っ越してきてまだ数年だというのに、ご近所の友人(妻)はその店の常連。初対面でも打ち解けることができる特技を持つ彼女。その上この店は実家と同業。商品を見る目は厳しい。そんな目利きの彼女が良いモノを売っていると太鼓判を押す店なのだから、店のおぢさんたちと仲良くならない訳がない。それに対し、家で料理をしないお気楽夫婦。この街に住んで20年以上になるのに、この店の存在は知っていたものの、余り馴染みがない。ショーケースに並ぶモノが良いのは知ってはいたけれど。その店の名前は・・・あ、分からない。そう言えば友人夫妻は、ただ「さかなや」と呼んでいた。※写真を改めてチェックすると、どうも「魚卯」という名前らしい。

Photo_2 Photo_3 の上、妻は大のパン好き。朝食は必ずパンだし、家でご飯を炊くことはほとんどない。自宅で魚を焼いて食べることなど、とても合意してもらえない。まして焼くと煙が出て匂いが残るという理由で“干物は外で食べるべし”という家訓があるぐらいだ。私もパンは好き。そして干物も大好き。たまには美味しい干物と炊きたてご飯を食べたくなったりもする。ある週末、妻は朝から休日出勤。チャンス到来とばかりにウキウキと独り「さかなや」に向かった。店頭に並ぶ美味しそうな干物。うわぁ、サバの灰干しが美味しそう!サンマの開きも魅力的。大好きな干物を食べる楽しみと、こっそりとタブーを犯す快感に胸が踊る。

Photo_4 った揚句、選んだのはサバ。ふふふ、かりかりに焼いて、熱々をがしがしと食べてやる。ところが「このメザシも美味しいよ。一緒にどうだい」と店のおぢさん。勧め上手。うむむ、確かにこの銀色に輝く肌が気になっていた。しかし魚を食べるチャンスは一度だけ。メザシはいつ食べたら良いんだろう。でも、美味しそう。それもください♪結局誘惑に負け、灰干しサバとメザシをお買い上げ。その日の独りランチはサバ焼き。日干しとは違う熟成された旨味。抜群の塩加減。脂の乗った腹身の部分など、涙が出そうなほど旨い。期待通りの味に満足。あ〜っ、美味しかった。さすが“ザ・さかなや”だ。ん?ところで、この匂い。食べていた時には気が付かなかった部屋中に充満する焼き魚独特の匂い。まずいっ、妻にばれてしまう。慌てて南の島土産のお香を焚く。・・・気のせいかもっと複雑で酷い匂いになった気がする。

Photo_5れ?魚焼いたの」帰宅した妻が、ただいまを言う前に鋭いひとこと。あぁ、やっぱり匂うか。「匂うに決まってるじゃない」あれれ。メザシもあるんだけど。ほら、美味しそうでしょう♪「何焼いたの」サバの灰干し。さかなやで買ったんだけど、これが美味しくってね。で、勧め上手のおぢさんにメザシも買わされた。「積極的に買ったんでしょ」え、なんで知ってるの。「自分で食べなさいね」はい、もちろん。・・・翌日。艶やかに光るメザシの群れ。かりかりに焼いた焦げが旨そう。うん、旨い。ちょっと食べてみない?パンを食べる妻にひと口。「うぅ〜ん、確かに美味しいね。さすがに“さかなや”はどれもモノが良いよね」良かった。妻は積極的に魚が嫌いな訳ではない。部屋に付く匂いが大嫌いなだけ。

と私の食べ物の嗜好はほぼ一緒。辛いもの好きの妻に、暑がりの私が付いて行けなかったり、酒飲みの私に妻が呆れたりということを除いては。これは幸せなことだと思う。日本中の街に生鮮3品(肉・魚・野菜)の店が少なくなった現在、こんな“さかなや”が元気に営業を続ける街に住むことも、また幸せなことだ。

「しっかしまだ匂いが取れないね。やっぱり魚は外で食べよう」♫お願いがあるのよぉ♪・・・部屋と焼魚と私。

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2009年1月17日 (土)

酔人綺譚「カレンダーの謎、振袖の夢」

Photo_2 る寒い日の朝、トイレに入ってすぐに異変に気が付いた。まだ1月の半ば、正月気分も抜けきっていないというのに、目の前だけが2月になっていた。壁に貼られた全日空のカレンダー。1月の富士山が、なぜか2月の知床半島に。「昨日寝るまでは1月のままだったんだよ」と、妻の証言。確かに、洗面所の同じカレンダーは、1月の富士山のままだ。わが家だけがタイムスリップした訳でもなさそうだ。「夜中に起きて破いたのかなぁ・・・」妻は、“誰が”とは言わなかったが、明らかに非難めいた口調で、私に向かって呟く。そう言えば、記憶の端っこの方に“ある音”が残っていた。その、びりびりという音を聞いた気がするのは、トイレの中だったのか。「なぜまだ1月のままなんだ」と怒ったように呟いたのは誰だったのか。

Photo_3日、スカッシュのスクールメンバーと一緒に酒をたっぷり飲んだのは覚えていた。プロコーチや日本上位ランカーなども参加したスカッシュ男女混合団体戦の帰り。途中から合流したコーチと一緒に、沖縄料理屋で泡盛を飲んだことも。店でひと眠りしてしまい、目覚めて飲み直そうとしたら、もう一滴も受け付けない程、満タンだったことも。うぅ〜ん、その後はどうしたんだったか。あっ、もしかしてこれは“部分記憶喪失”と呼ばれる症状ではないか。「じゃあ先に出るよ!」妻は記憶喪失に罹った私を、無情にも置き去りにして出社してしまった。それにしても頭が痛い。喉が異常に渇く。これも記憶喪失の症状のひとつか。あぁ、辛い。このまま記憶が戻ってこなかったらどうしようか。失った記憶はどんなものなのか・・・。

Photo_4ぁ〜、IGAIGA(私のこと)この前は楽しかったねぇ♪」数日後、団体戦の後に一緒に飲んだ友人(♀)にスポーツクラブで声を掛けられた。「あの日はみんなすごい飲んでたよね。私も翌日まで気持悪くて・・・」確かに。「帰りの電車の中で、振袖姿の成人式の女の子に、きれいですね、きれいですねぇって何度も言ってたよ。すいません、この人酔っ払いでって謝っておいたけどね」え!それも失われた記憶のひとつ。思わず、私はジローラモだったのか!と自分に突っ込む。「なんか、可愛いくて、とても良い娘でさ、ありがとうございますって言って笑ってたけどね」断片的に振袖の鮮やかな柄と色合いが蘇る。あぁ、あれは夢じゃなかったのか。けれど、顔は全く浮かんでこない。別の意味で残念。

う言えば、店で寝ながら拍手してたしね」え、私が?まさか。まるで酔っ払い丸出しじゃないか。「電車の中でも拍手してたよ」2人の会話に妻も入って来た。複数の証言がある以上、事実なのだろう。なるほど。右手が使えないため選手としてはほとんど参加できず“監督”として臨んだ団体戦。妻をはじめとした選手たちのプレーに拍手し、酔って眠った夢の中でもグッショット!とか言いながら拍手し続けていたのだろう。我ながら良いヤツ。その時、私の記憶が蘇った。トイレに座り、几帳面にも画鋲を外して、1月のカレンダーを破り、2月のカレンダーを眺めながらにんまりしたのは紛れもない私だ。現実と夢の端境で、夢の中の出来事とは思わず、現実の行動を無意識に起こしてしまう。思わず笑ってしまう出来事。

これだから酔っ払いはやめられない。すると「ただの酔っ払いでいられるのも、私が連れて帰るからでしょ」と妻。まぁ、おっしゃる通りです。

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2009年1月11日 (日)

正しい日本のお正月「江ノ島、横浜中華街」

Photo本の正しいお正月が楽しみです・・・」5年以上駐在したNYCから帰って来た友人夫妻から年賀状が届いた。日本における正しい年末年始の過ごし方とは何だろう。こたつミカンでだらだらとTVを視ながら年末を過ごし、年越し蕎麦を食べ、初日の出を拝み、お年玉をもらい、お雑煮を食べ、お節をつまみながら朝から酒を飲みつつ箱根駅伝を見る。皆揃って初詣に行き、時間を持て余す人はそのままスーパー銭湯やパチンコ屋に向かう。日本にいたら至極当たり前の(一部は特殊な例かな)時には退屈なお正月だけれど、NYCでは望んでも叶わない過ごし方だったに違いない。じゃあ、皆で正しい日本の正月を過ごそう!ということで友人夫妻のお宅へ泊まりがけで押し掛けた。

Photo_6 人夫妻の住まう横浜というロケーションを活かし、まずは箱根駅伝の生観戦。復路9区の激走を皆で応援しよう!と最寄り駅近くの沿道で観戦。通過予定時間のはるか前から観客で溢れかえる国道一号線。駅前では応援旗を無料で配布。各大学の旗竿も並ぶ。寒風の中おしゃべりをしながらランナーを待つ。あぁ、このY売新聞社の旗を一度振ってみたかった。大会運営車がやってきて、その後を学生アスリートたちがあっという間に走り去る。凄いスピード。我々がスポーツクラブで走っている速度の倍以上。鍛えられたしなやかな身体が皆印象的。ライブで見るスポーツはやはり素晴らしい。実に正しい日本の正月風景。

Photo_7 伝観戦の後は初詣。NYC帰りの友人夫妻が新婚当時に住んでいたという縁の江ノ島へ。年末からずっと眺め続けて来た富士山がここでも奇麗に見える。これまた正しい日本のお正月。普段眺める富士よりも一段と神々しく見える。のんびりと海を、富士を、烏帽子岩を眺めながら神社に向かう。しかし余りの人の多さに参道の途中、鳥居の前で初詣は挫折。そこで遥拝。沈む夕陽を眺めながら片瀬江ノ島駅へ。竜宮城を模したこの駅。正月に眺めると妙に縁起が良さそうに思えるから不思議だ。向かったのは中華街。中国で国を挙げて盛大に祝うのは春節(旧正月)。獅子舞や竜踊りが街を練り歩いたり、爆竹を鳴らしたり、厳かな日本の正月とは大きく趣も違う。とは言え、日本のお正月にも大勢の人々で賑わう中華街大通りを歩けば、ますます正月気分は盛り上がる。

Photo_8 Photo_9 約してあった状元樓は上海料理の店。確実に美味しい安心の店でもある。さっそく「蒸し焼きスープ入り饅頭」「カニと干貝柱の卵白仕立て」「芝エビのロンジン茶炒め」などをオーダー。「美味しいっ♫」「優しい味付けだねぇ」「やっぱり食べ物は日本だよねぇ」「料理やサービスが繊細だし。NYCと全然違う。帰って来てホントに良かったぁ」思わず友人夫妻も唸る。確かに当たり前のように美味しく食べている中華料理もNYCでは微妙に違う。味付けの好みの違いもあるが、明らかに違うのはサービス。中華料理店で、これほど丁寧な接客は日本以外にはそうそうないだろうなぁ。ということで、大勢で美味しい料理をわいわいと食べる。これもまた正しい日本のお正月。

味しかったし、楽しかったぁ。やっぱり日本は良いねぇ♪」その夜、ドミノゲームなどに興じつつ友人(妻)が呟いた。9.11から数年後に赴任し、リーマン破綻直前に帰国した2人。大変な時期だっただろうし、5年は長かった。こうして久しぶりに日本で過ごす正月の感慨も深そう。「次は何を理由に集まろうか!」「いつか香港に皆で一緒に行きたいねぇ」友人たちと一緒に過ごし、更けて行く夜は、NYCでも日本でも変わらない。

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2009年1月10日 (土)

極める仕事、収める商売「割烹 弁いち」

Photo2008年も押し迫ったある日、楽しみにしていたスカッシュ仲間との忘年会を欠席し、お気楽夫婦は浜松へ向かった。年内最後のレッスンを終え、仲間たちと年末のご挨拶。スポーツクラブからそのまま新横浜に向かうという慌ただしいスケジュール。それと言うのも、その日はある店の年内最終営業日。どうしても年内にもう一度その店に行きたかった。浜松に住む妻の両親と一緒に、その店の料理を味わいたかった。妻の生まれ故郷で過ごすことが恒例となった年末年始。以前から気になっていた「割烹 弁いち」を初めて訪れて味わった昨春の、あの喜びの味を再び!なかなか伺うことができない東京に住む身としては、少ないチャンスを活かしたい。そんな意気込みだ。

Photo_4 松に到着した新幹線から降り、迎えに来ていた両親と共にまっすぐ店に向かう。予約したのは店を入ってすぐの場所にある、個室風のカウンタ席。親子4人にお誂え向きの、4席だけの居心地の良いこぢんまりとしたスペース。脚の具合が良くない義母のために椅子席を選んだということもあるが、厨房が近いこともあり、お店のご主人とコミュニケーションもしやすい絶好の場所でもある。新幹線の車内でビールを既に飲み適度に酔った私は準備万端。さっそくご主人お薦めの日本酒をお願いする。この店の楽しみは料理とお酒(特に日本酒)の絶妙な組合せ。絶品の料理を作り、酒や食材に関しても研究熱心なご主人に、この皿にはこの酒と選んでいただける。不味かろうはずもない。

Photo_3 の日も、全て肴になるために生まれて来たとしか思えない前菜、珍味盛り合せをいただきつつ、一杯目は「山形正宗」。キレの良い酒だ。酒の肴も実に美味しい・・・おっ!旨い♪これはカラスミですか。ご主人に尋ねると自家製のカラスミだという。正直に言えば、今まで食べたカラスミは、値段の割にはそれほど美味しいものとは感じられなかった。が、このカラスミは明らかに違う。ほんの少し齧っただけで上品な香りが口中に広がり、生臭さがまったくなく、味が濃いのではなく、旨味が濃い。旨ぁ〜いっ♪「ありがとうございます。良いモノを仕入れると驚くようなお値段です」さり気なくご主人はおっしゃるけれど、嫌みにならない。良いモノだということに納得するしかない味。「これも食べてぇ」美味しいを連発する私に、義母が自分の皿からカラスミを勧めてくれる。酒がさらに進む。

Photo_4 の後も、「十四代」、「究極の花垣」などの逸品を薦めていただく。どれも実に旨い。そして、どれも絶品の料理がご主人と共にやって来る。どうしてもこちらに伺いたく予定を変更して来店したこと、春以来2度目の訪問であることを告げる。「それは、ありがとうございます。前のご来店の際にネットでお書き頂きましたか。確か、快楽主義・・・」あぁ、良くお分かりですね。実は両親も気に入ったようで、今年のお節は弁いちさんにお願いしたんですよ。「ありがとうございます。今ちょうどお節の仕込みの真っ最中なんです。先程お召し上がりいただいたカラスミも入っています」おぉ〜っ♪それは正月の楽しみが増えた。「良かったねぇ」妻が嬉しそうに微笑む。なんだか大好きなものを買い与えられて喜ぶ子供(私)を皆が温かく見守る風景になっている。カラスミを食べた私は、そんなに嬉しそうに見えたのか・・・。

して〆は、私の「最後の晩餐」のメニューとして決めている大好物の穴子、そのお茶漬けだ。幸せの味。最後まで丁寧な仕事。厳選された食材。旬の食材の味を最大限に引き出す技。弁いちの料理は、ダイナミックさを表に出さず、奇を衒わず、極めてきた結果が独りよがりな方向には向かわない。斬新な組合せでも(良い意味で)安定した味になっている。未完成の味は皿には乗ってこない。決してハズレのない味。だからこそ、普段は口数の少ない妻の両親が弁いちの味を積極的に誉め、お節に弁いちを選んだのだろう。食事を終え、ご主人に店先までお見送りいただき帰路に付く。一年の締めくくりとして、実に満足の味、満足の時間だった。

ころで、ご主人は自店サイトの「板前日記」で、含蓄のある端正な文章を書いている。そこで「発展的に店をスリムにし、仕事の内容を充実させる」あるいは「商売は縮小、仕事は追求が今後の理想」とも書いているのを見つけた。なるほど。自ら書かれているように、“店を大きくせず、多店舗展開もせず、料理のクォリティを高める”仕事をしてきた職人が目指す方向として、とても理解できる。私の仕事も経済性を優先するのではなく、専門性、地域や社会への貢献を優先するという方向に舵を切った。そんな時期にこの店に出会えたのも何かのご縁。ご主人の仕事と味がどのように変化するのか、訪れるたびに楽しみにしたい。「次は連休かなぁ♪浜松まつりの間は営業しているかなぁ・・・」故郷の両親の元に帰ると、すっかり子供になる妻が嬉しそうに呟いた。

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2009年1月 5日 (月)

日本人のDNA「富士を眺める旅」

Photoらを日本人であると強く実感する瞬間がある。日本人的情緒にすっぽりと包まれ、それを心地良いと感じることがある。例えば、初日の出。海外でも同様の風習があるかどうかは知らないけれど、少なくとも日本人のようにほぼ無条件で有難がることは少ないように思う。それも、ほとんどの日本人は、明確に信仰と結びつけている訳でもなく、年神様を迎える云々を知識として持っている訳でもなく、(元旦に限らず)昇る朝日を見るだけでなんとなく神々しい気分になる。太陽信仰、日出処の国の由来、などと説明されることよりも、日の出を聖なるものとする気持が、遠い昔から日本人のDNAに刻まれてきたという方が実感がある。

Photo_2 うひとつの例に、富士山がある。これもまた日本人を実感するキーワード。富士信仰、山岳信仰などという知識以前に、無条件にその美しい姿を見るとありがたく、嬉しい気持になる。最近はミシュランに掲載されたこともあり、富士山観光が海外からの観光客にも人気らしいが、やはり日本人の美意識に訴えるものがこの山にはある。遠くからでもそれと分かる美しい姿。“富士”と言えば、誰もがその姿形を思い浮かべることができ、幼い子供でも誰もが絵に描けるはず。また、意外な場所からその姿を眺められた時の嬉しさは何とも言えない高揚感がある。

Photo_6 、特に空気の澄んだ年末年始は富士の姿を望むには絶好の季節だ。妻の生まれ故郷(静岡)を旅し、何度もその高揚感を味わった。海に浮かぶ富士の姿は日本人ではなくとも多くの人を魅了するし、東京湾越しに千葉から見える富士、江ノ島辺りから相模湾に浮かぶ富士も美しく、伊豆から眺める富士も雄大で秀麗だけれど、初めて見た御前崎から駿河湾に浮かぶ富士の姿に見惚れた。まさに息をのむような美しさ。さらに、日本平から清水港越しに眺めた富士も絶品。江戸の時代から愛された構図であり、浮世絵や銭湯の壁絵などでもお馴染みの富士山のビュー・ポイント。

Photo_8

して、同じ方向からの富士の姿なのに趣が違う日本平からの眺望。富士の手前の風景が違うだけで印象は大きく違い、かつそれぞれが実に美しい。美しい女性が何を着ても似合うのと同じ。衣装は選ばない。思わぬ方向から現れる富士の姿に喜び、衣装の組合せに驚き、そんな富士を車窓の伴として走り続けた旅だった。

Photo_9 ころで、富士の見える場所それぞれに“My富士”自慢があり、富士の見える場所に“富士見”という地名がある。富士山ビューは不動産価値を高めるとも言われるが、義母は富士を望める家に住みたいと現在のマンションに移り住んだらしい。以前の一軒家では望めなかった富士が、毎日のように眺められる現在の住まいは満足の物件のようだ。

路、新幹線の車窓から富士を眺めることができた。実に良いタイミングで夕焼けに染まりつつある富士の姿を望むことができたことを吉祥としたい。ということで、皆さま今年もよろしくお願いいたします。

 

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