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2008年11月の記事

2008年11月30日 (日)

きっとまたいつか?「小田和正@東京ドーム」

Photo_3たとえ君が目の前にひざまづいてすべてを「忘れてほしい」と涙流しても・・・♬高校時代、若く、真っすぐで、一所懸命な恋をしていた。すきま風の吹き込む体育館、放課後の公園、駅までの通学路。オフコースの「眠れぬ夜」の歌詞が恋の傷に沁み、小田和正の透き通った声とメロディに癒され、痛く、温かい背反する感情が私を包んだ。まだオフコースがメジャーではなく、小田和正と鈴木康博のデュオになり、小さな会場でライブをやっていた頃のエピソード。売れていないのに、気高きアーティストだった。今でも「眠れぬ夜」を聴く度に、その頃の、甘く、苦く、柔らかな情景が浮かんで来る。そして、今でも季節の替わり目などに、「僕の贈りもの」の歌詞がふと浮かび、(お風呂などで)思わず口ずさんだりもする。オフコースは、私にとってそんな存在だった。

Photo_4 して、1989年2月に解散するまで、数々のヒットと大勢のファンを得た頃には、ちょっとオフコースとの距離が開いてしまっていた。当時、テニス仲間の可愛い女の子(当時)にオフコースの解散コンサートに誘われた。当然一緒に行こうと約束し、チケットも予約してもらったのに、直前に私の都合で(どんな理由かも忘れてしまったけれど)行くことができなかった。その後、小田和正がソロで活躍し、ヒット曲を連発し、メジャーになり、ポップスターになるにつけ、小田和正の曲も、声も相変わらず好きなのに、どんどん私との距離は離れて行った。(デビューした頃の村上春樹作品が好きで、「ノルウェーの森」辺りから少し距離感を持ってしまった気持と少し似ている)それでも、オフコースや小田和正のベスト版を買うぐらいのファンではあった。

Photo_5 2008年初冬のある日、そんな私が妻と一緒に東京ドームにいた。妻の方針に従った結果であり、もちろん、初「生」小田和正。初恋の人と無理やり会わせられるような微妙な気分。席は2階席。ステージはほとんど観えないだろうと席に向かうと、目の前には観たこともないステージレイアウトが。アリーナの中心にセンターステージ、その周囲に4つのサブステージ、それらを繋ぐ長い通路。そしてメインのステージの裏にも客席がある。そして、各所にスクリーン。アリーナの客席はメインステージを向かず、センターステージ向きにセッティングしてある。(調べてみると、小田和正のツアーでは恒例で、それぞれ「花道」「オン・ステージ・シート」などと呼ばれているらしい)いわゆる見切り席が出にくいレイアウト。凄い。6時30分という早い時間の開演にも関わらず、どんどん席が埋まって行く。年齢層は幅広く、親子連れの姿も目立つ。空席は全く見当たらない。凄い。

Photo_6ンストルメンタルメドレーで最初に「僕の贈りもの」が流れ、開演。いきなり涙腺が刺激される。やばっ。そして最新シングル「今日もどこかで」で初の生声。凄い。齢61歳とは思えない声の伸びやかさ、相変わらずの澄んだ歌声に鳥肌が立つ。オフコース時代の曲も含め、耳にしたことのあるメロディが続く。スクリーンや電光掲示板に歌詞が表示されるという細やかなサービスに関心している間に、メドレー。「眠れぬ夜」が流れると、私の目からも水分が流れる。妻にバレないように、こっそりと涙を拭う。大きな会場を走り回り(腰を痛めたそうで、ゆっくりと)歌い続ける61歳。凄い。映像で観る小田和正よりも、むしろ若々しいぐらい。そして、何度も何度も「どぉもぉ!」とお辞儀をして、何度も何度もアンコールに応え、終演は10時過ぎ。公演時間3時間30分以上。途中ビデオ放映があったものの、ずっと独りで語り、そして歌い続けた超人的なアーティストだ。考えてみたら、ビリー・ジョエルよりも年上!凄い!

のサービス精神溢れたステージが、この動員を生むのだろう。(熱狂的なファンが宗教的な空気を作っているのかと危惧したけれど、それも全くなかった)そのアーティストとしての姿勢に素直に脱帽し、改めてファンになる。初恋の人と再会し、改めて恋に落ちた気分。妻に感謝。「声は全く年齢とってないねぇ。それに、意外と脱力してたし、良い感じで老けてるんだね」きっと、年齢を重ねて聖性(誤解のないように言えば、近づき難さ)がなくなったのかもしれない。この時期に初めて生で聴いて正解だったのかも。ツアータイトル通り、きっとまたいつか!そう思わせる素晴らしいステージだった。

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2008年11月29日 (土)

30年目のピアノマン「ビリー・ジョエル@東京ドーム」

Photo1978年4月23日、ビリー・ジョエル日本公演当日。若き日の私は、共にアテネ・フランセに通う友人と一緒に中野サンプラザの前にいた。当日券が買えるかもしれないという僅かな望みを持って。前売りチケットは既に完売。前年に発売されたアルバム「ストレンジャー」が日本でも100万枚を超える大ヒット。急遽決定した初来日。窓口に並ぶファンも多い。残念ながら当日券も手に入らなかった。そして自分たちには幻になったビリーの生歌を頭の中でリフレインさせながら、中央線沿線の飲屋で安酒を酌み交わした。それから、30年。「ビリー・ジョエルの東京ドーム公演のチケット予約してみない♪」妻からの提案になんとなく頷いた。どうせチケットは取れないだろう・・・。ところが、2008年11月のある日、妻と私は東京ドームにいた。

Photo_2 来日から30年を記念した1夜だけのスペシャル・ライブ。ほぼ定刻通りの7時には開演。懐かしい口笛が聞こえてくる。うわっ!1曲目はいきなり「ストレンジャー」かぁ・・・。思わず涙が出そうになる。一気に30年前の自分にタイムスリップ。初のビリー・ジョエルの生歌。生ビリーの体重は見事に増え、逆に髪は見事になくなってしまい、見た目は若い頃の面影はないけれど、声は健在。デビュー当時より太い声になってはいたけれど、高音もよく伸びる。シンプルなステージ(とPAの設定?)だったためか、音も悪くない。「マイ・ライフ」「素顔のままで」「ザンジバル」など、それ以降も日本のファン向けの選曲。まるで「ビリー・ザ・ベスト」のライブ版のよう。ビリーもなんだかとてもリラックスして歌っている。隣で(アリーナが取れてしまったので仕方なく)立ちっ放しの妻も終止笑顔。良いライブだ。そして、ラストは「ピアノマン」で締めくくられ、9時には終演。ふぅ、満足。

Photoられる時に行っておかないと、ライブではもう観られないと思うんだよね」そんな妻の提案で、今年は既にポリスのライブに行き、翌週にはある国内アーティストのライブに行く予定だ。全て東京ドーム。チケット代も決して安くはないけれど、これも一種の大人買い。若き日に聴き込んだ、でもライブに行くチャンスがなかったアーティストたち。妻も生ビリーは初体験。「でも「アップタウン・ガール」は演ってくれなかったね」妻がちょっと残念そうに呟く。そうだね。アップタウン ガァア♪シーズビィンリビィン・・・♬小さな声で喧噪の中を2人並んで囁くように歌いながら、東京ドームシティのイルミネーションの中を歩く。お気楽夫婦のミーハー心をたっぷり満たした良い公演だった。

Photo_2待した以上に声が出てたね。還暦間近なオヤヂなのに、凄いねぇ、やっぱり」閉店時間ぎりぎりに飛び込んだ飲屋でも興奮冷めやらぬ様子の妻。音や映像だけで憧れていたアーティストを(生きている内に)観ておきたい。そんな気持らしい。確かに、数年前にポール・マッカートニーを観に行った時も、そんなことを言いながら終演後に酒を飲んだ。しかし、ポールの時はスタンド席で生ビールを飲みながら、のんびりとビデオ・ライブのようなコンサートを味わった。けれど今日は、立ちっ放しのアリーナ席。唯一の不満。究極は、お酒を(座って)飲みながら、小さなライブハウスで、ビリーのピアノだけでライブを聴きたいねぇ。♬イッツナインノクロックオンサタデェ♪お気楽夫婦の頭の中で、「ピアノマン」がリフレインする。まったりと、まったりと、美味しい肴を摘み、美味しい酒を飲みながら。

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2008年11月24日 (月)

親父の汗、親父の勲章「緑綬褒章」

Photo_8る日、珍しく故郷で暮らす親父からの留守電メッセージが残されていた。「相談したいことがあるから電話が欲しい」との内容。うぅむ。振り込め詐欺に遭う程には耄碌はしていないと思うが、プライドの高い父親が息子に“相談”することとは何だろう。悪い予感がする。同居する弟に何かあったのか。慌てて携帯に電話すると留守電モード。そう言えば、夜が早くなった父親はとっくに寝ている時間だ。改めて翌日電話をすると、「緑綬褒章を貰うことになった。東京は不案内だからいろいろと教えてくれ」とのことだった。ふぅ。良かった。詐欺ではないのね。ところで、緑綬褒章?「国土交通省で受章式典があって、その後皇居に参内するらしい」ふぅ〜ん、皇居に参内ねぇ。・・・えっ?皇居って、天皇のお住まい?天皇に謁見するということ?凄いじゃないか。おめでとう!

Photo_9えるものは貰っておこうかと思って」照れたように、ことば少なに語るけれど、そのことばに嬉しさが滲み出ている。周囲は大変なんじゃないか?「まだ正式に発表されていないが、祝賀会の手配やらで大変だ」ちっとも大変じゃなさそうに、迷惑そうに(聞こえるように)説明をする父。聞けば、長年自治会長を務める父達が中心になって行って来たボランティア活動が認められ、団体(自治会)として受章するらしい。この春の褒章の際に、杉良太郎が(芸能分野で受章する紫綬褒章ではなく)長年の慰問活動で受章し話題になったのが緑綬褒章。唯一、団体で受章できる褒章でもあるらしい。「文化勲章ほどじゃないが、そのちょっと下ぐらいか」冗談なのか、本気なのか。いずれにしても、父の年代にとっての褒章は特別な意味を持つことだろうし、何より流した汗が認められたということは、誇らしいことだ。

Photo_10

っそく調査開始。集合は授章式当日の朝10時。前日から宿泊の必要があるだろう。服装は一般的にはモーニングらしい。すると貸衣装か。記念写真も手配する必要があるだろう。だったら全てホテルにお願いするか。「息が詰まるから、そんなに高級なホテルにするなよ」という父の要望もあり、国土交通省にほど近いグランドアーク半蔵門の和室(檜風呂付き)を予約。亡くなった母の代わりに、横浜に住む伯母を誘い、妻と一緒に4人でお祝いの食事をすることにする。父が上京し、一緒に食事をするなどという機会はもう少ないだろう。もしかしたら、これが最後のチャンスかもしれない。父にとっても、老いていく自分への花道が準備されたという意識があるらしい。私ができることなら精一杯お手伝いしよう。

日、東京駅までお迎え。横浜から独りで電車に乗ってやってきた80歳の伯母もピックアップしてホテルに向かう。合流した妻と一緒にチェックイン。明日の会場となる国土交通省と皇居のお堀を臨む良い部屋だ。さっそく祝杯。料理を摘みながら、昔話に花が咲く。父の辿って来た道を想う。そして、自分の辿る道を想う。私はどんな老後を迎えるのだろうか。翌朝、ホテルの衣装室で着替え記念撮影。「受章の報道があってから、いろんな業者が売込に来るんだ。この勲章佩用の金具も、業者のプレゼントだ。まだ何も買っていないのに」そんなエピソードを語る口調も嬉しそう。国土交通省までタクシーに同乗し見送る。「何から何までありがとう。世話になったな」殊勝なことばに少し照れる。良い式になると良いね。警備員の「おめでとうございます♪」の挨拶に迎えられ、庁内に向かう父。次々にモーニング姿や色留袖の晴れがましい人々がタクシーから降りて来る。急に場違いな気持になり地下鉄の駅に急ぐ。私ができることはここまでだ。

方、父に電話をする。無事に東京駅まで行けた?「あぁ、もう東京駅だ」ん、口調にちょっと不機嫌さが混じっている。勲章付けて写真撮った?「団体での受章は勲章がないんだそうだ」・・・ふぅん。不機嫌の原因はそれか。勲章を飾る専用の額まで売り込みに来ていたという業者の知識も、国土交通省の事前説明も不足していたということか。まぁ、受章にケチが付いた訳ではない。笑い話にしてしまおう。・・・でも、それができないのが父。まぁ、仕方がない。目に見えぬ勲章を佩用金具に下げて、胸を張って撮影された(であろう)父を想う夕暮れ時だった。

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2008年11月22日 (土)

ショコラ、ショコラ、ショコラ「ショコラティエ・ミキ」他

Photo 気楽夫婦が南半球の羊の国でスカッシュワイン三昧の日々を過ごしていた頃、北半球の花の都でチョコレートと格闘していた女性がいた。2人が住む街に小さな店を持つショコラティエンヌのミキちゃん。日本では新宿伊勢丹で開催されることで有名になった「サロン・デュ・ショコラ」のパリ会場に参加したのだ。規模も雰囲気も(百貨店の催事とは)全く違う大イベント。ある週末、直接パリでの様子を聞くために彼女の店を訪ねた。ドアを開けると「あぁ〜、IGAさん、こんにちは♪行ってきましたぁ」と相変わらずの可愛らしい声で出迎えられる。パリはどうだった?「とぉっても、たいへんだったんですけど、貴重な経験でした。きっとこのことは一生記憶に残ると思います」ん?何かトラブルでもあったの。

Photo_2輸したボンボンショコラがダメになっちゃったんです。見た目では分からないんですけど、味はいつものと全く違っていて、これを食べていただく訳にはいかないと思って、全部廃棄しました。勇気が要りました。きっと私がチョコたちに無理させちゃったんです」それは凄い。で、代わりに現地で作ったの?「いえ、後から来てくれたダンナ様にオランジュを持ってきてもらって何とか間に合いました」明るく話すミキちゃんは、なんだか職人として、経営者として、ひと回り大きくなっていた。嬉しく、ちょっと眩しい気分。それはそうと、今日は何を買おうか。「よろしければ、秋の限定マロンを召しあがってみてください」「じゃあ、今日はねぇ、マロンを4つ、ノエルを2つ・・・」妻が嬉しそうにボンボン・ショコラを選んでいく。この繊細なショコラたちは妻のお気に入り。大切に、大切に味わって食べる幸せな味だ。

Photo_3 ころで最近、私が買って帰る定番みやげがある。クライアントの事務所がある自由が丘の割れチョコ専門店「チュベ・ド・ショコラ」のチョコレートだ。元々は割れてしまったチョコを販売したところ、人気が出て最近ではわざわざ割って販売しているという、本末転倒的な、とは言ってもやっぱり美味しいチョコの店。ミルク、ビター、ホワイト、マーブルなどのチョコにアーモンド、クランチなどの組合せがあるため種類も豊富で、毎回訪問の度に悩んでしまう。「割れチョコミックス」という詰め合わせもあるが、数量限定のため買えた試しがない。けれど、割れているから食べやすく、甘さも抑えめで、ボリュームも充分。仕事の帰り、待ち合わせた妻にチュベ・ド・ショコラの袋を渡すと目が輝く。「やったぁ♪すぐ食べて良い?」感情表現の薄い妻としたら最高のテンション。大胆にガブッとかぶりつく幸せな味だ。

Photo_4 して、妻の好みが分からなくなってしまう!と友人に言われるのがこれ。「シーズ・キャンディズ」だ。カリフォルニア発祥の、いかにもアメリカのチョコの味。ガサガサと詰め合わせてもらい、ワシワシと食べる、椎名誠的なお気軽チョコレートとして妻の大のお気に入り。なのに今はベルギーやフランスの上品、大人系のチョコに押されたのか銀座と原宿に店舗があるのみ。最近はご無沙汰。友人の映像作品上映会を観に原宿まで出かけたある週末、「シーズ行くよ!」と宣言する妻。お店に入るや「値上がりしたね(怒)」と呟く。とは言え、定番の「ナッツ&チュウズ」をきっちりとご購入。「ふふふ♪」とほくそ笑む妻。彼女のチョコレートの好みの軸は、どこにあるのだろう。「美味しさはひとつだけじゃないし、それぞれが美味しいのさっ!お酒もそれぞれ飲み方と味が違うでしょ」むむむ、そう言われればそうではある。しかし、100g単位で体重を気にするのに、このチョコの消費量は・・・。かくして我家の冷蔵庫はビールとワイン、そしてチョコレートの保管庫と化すのだった。

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2008年11月21日 (金)

カレー、カレー、カレー「しまうまカフェ」

Photo_5る日の午後、私はクライアントの事務所に向かっていた。午後一番でのアポイント。まだランチを取ることができず、空腹のままで自由が丘の街を急ぐ。小さな路地の入口に、小さな看板がふと目に入る。「猫背」とある。変わった名前だ。どうも店の名前らしい。小さな文字でカレー&カフェと書いてある。へぇ〜っカレーかと思った瞬間に、頭の中がカレー一色となった。カレー、カレー、カレー。仕事が終わったらこの店でカレーを食べよう!カレーだ、カレーだ。口の中がカレーの味になる。ごくんと唾を飲み込んで事務所に入る。カレーは忘れろ、カレーは忘れろ。しかし、脳内細胞はすっかりターメリックに染まっている。あぁ、カレー。

Photo_6 ぁ、仕事も終わった。遅いランチだ。カレーだ、カレーだっ!勇んで「猫背」に向かう。思わず小走りになる。が、店に着くとそこには無情にも「準備中」の看板。あぁ、私のカレーが、ランチが。しかし、数時間前から頭の中はカレー。それも、その日、自分のイメージしたカレーの味。欧風でも、インドの本格派でも、タイのカレーでも、おフクロの味でもなく、喫茶店(カフェでも可)のカレー!そんなカレーを探しに自由が丘の街を急ぎ足で歩く独りのオヤヂ。ステーキと焙煎カレーの「フランス亭」は店の雰囲気が違う。うぅ〜ん、「茶の子」のカレーは1,200円かぁと通り過ぎる。何軒か迷いながら店先を覗き、南口までやって来た。

Photo_7 った!ここだ♪以前打合せでも使ったことのある人気店「しまうまカフェ」。メニューにカレーがあることを確認して窓際の席に座る。「牛肉とたっぷり野菜のパンジャブカレー」をオーダー。サラダと豊富なメニューから選べるドリンクが付いて1,000円。お得。その上、グラスワインでもOKと聞いて心が揺らぐアル中オヤヂ。しかし、今日はカレーに集中だ。冷静さを取り戻し、アールグレーのミルクティを選ぶ。しばらくして運ばれて来たのはこヂャレた盛り付けの上品カレー。(私の勝手な)イメージとは違うが、待望のカレーだ。うん、美味しい。パンジャブとは、インドのパンジャブ地方のさらっとしたスパイシーなカレー。ん、量は自由が丘系女子には適量。体育会系男子にとっては3杯食べてもおやつ程度。

ぅ。(実に小さな)目的を達成し、ほっと一息。ようやくカレーの文字が脳内細胞の奥底から去って行く。慌ててカレーを平らげた分、のんびりとアールグレーを啜る優雅な午後。この店の紅茶はポットサービスで、ミルクも温めてある。これは紅茶派の私にとってポイントが高い。紅茶の種類も何種類か選べる。これも嬉しい。カフェたるものこうであって欲しい。残念ながら日本ではコーヒーに比べて紅茶の扱いは低い。コーヒーと同じ冷たいクリームが出て来たり、ティバッグだったり。色付きのお湯と呼びたくなるものだったり。浅いティカップに上品に1杯だけだったり。(ひと口で飲み干せる)ちょっとしたホテルのラウンジでも、がっかりする味の紅茶が出て来ることもある。しまうまカフェは(私の好みからすると)紅茶の味はやや薄かったけれど、文句なく合格点。駅から近いこの店は打合せでも便利。ということで、またお邪魔します。

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2008年11月16日 (日)

住まうように泊まる「ハイアット・リージェンシー・オークランド」

Photo Photo_2気楽夫婦が宿を選ぶ際の条件はいくつかある。(その条件のほとんどはホテル・ジャンキーと呼んでも良い妻の出すものであるのだが)ひとつは充分な部屋の広さ。寛ぐための宿なのに、ストレスが溜まるような窮屈な部屋は嫌だということ。その基準は自宅と同等か広いこと。ただ、幸いなことにマンション住まいの我家は狭小。合格の基準は50㎡。オークランドを訪問する際に選んだのはハイアット・リージェンシー・オークランド。このホテルにはレジデンスと呼ぶカテゴリがある。広さは66㎡以上。分譲だったり、長期利用の部屋の一部をホテルと同じようにスィート・ルームとして利用できる。お気楽夫婦はハイアット・グループで貯めたポイントを利用し、スタンダードの宿泊料金でレジデンス・スィート・キングに宿泊。かなりお得。円高もあって1泊1万円強!

Photo_3 Photo_4 ェックインして最初に案内された部屋は、シャワーブース付きの大きなバスルーム、広いベランダ付きの明るいリビングの豪華な部屋だったが、低層階のためか眺望が今ひとつ。他の部屋を案内してもらうことに。ベルの男の子にお願いすると、「OK!ちょっと待ってて。フロントに確認するよ。・・・あぁ、OK。最上階のひとつ下で、ちょっとここより狭いけどハーバーを望める部屋が用意できるみたいだ」とすかさず対応。マスターキーですぐに新しい部屋に通される。ホテルを選ぶ条件、その2。決して慇懃ではなく、打てば応える接客。合格だ。部屋もOK。ベッドルームとリビングにベランダ付き。ベランダからのハーバーの眺めも素晴らしい。部屋の広さも充分過ぎる程。良い部屋だ。

Photo_5 Photo_6 屋に落ち着くと、さっそく妻が荷解きを始める。衣類はクローゼットやチェストに仕舞い、化粧品や歯ブラシなどは洗面カウンタの鏡の前に並べる。まるでさっき到着したばかりの旅人ではなく、そこに住んでいたかのような設えを整えるために。私はその間、手持ち無沙汰もあり、ブログ用の写真を撮影。(サイトをリニューアルする際にはホテル・カタログを作ろうと思ってもいる。けれど、いつになるのやら)「よしっ♪」黙々と旅のお供たちを片付けていた妻が満足そうに頷く。ホテルを選ぶ条件その3、充分な収納も合格のようだ。

Photo_7 Photo_8ゃあまずジム行くよ!」リビングでゆったりとお茶を飲んで、ガイドブックを眺めながら夕飯をどこで食べるかを確認し終わると、妻がすくっと立ち上がる。はいはい。条件その4。ジムやプールなどの身体を動かすことのできる施設があること。いつもだったらスカッシュコートがあることがベストなのだけれど、今回は何日もスカッシュをした後だったから条件からは除外。スパと併設された明るい大きな窓に面したジムとプール、そして大きなジャグージ。30分程ランニングした後、妻がジャグージでにんまり。どうやらこれも合格らしい。

Photo_9 Photo_10 ムとジャグージで汗を流した後、街に出る。ホテルに戻り、カフェでビールと軽い前菜をいただく。レジデンスに付く無料サービス。お味は、かなりの高水準。旨い。「グッダイ♪」部屋に案内してくれたベル・スタッフが挨拶して通り過ぎる。さほどお腹が空かないこともあり、カフェでいただいた前菜と同じ厨房で作っているということで、オークランドの初日はルームサービスに変更。温野菜サラダ、シーザーズ・サラダ、フレンチ・フライと軽めのメニュー。うん、これは美味しい。条件その5は、ホテル内の食事が美味しいこと。もちろん合格。そして、羊の国最後の朝。7時前にホテルを出なければいけないスケジュール。「でも、せっかくだから朝ご飯食べて行こう!」と妻。ホテル生活には貪欲だ。誰もいない早朝のカフェ。2人だけできっちりと美味しい朝食。満足。ハイアット・リージェンシー・オークランド。住まうように過ごすことができた満足のホテルだった。

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2008年11月15日 (土)

帰国祝いパーティの夜「萬来軒とBAR808」

Photo Photo_2 NYCに住んでいた友人夫妻が帰ってきた。駐在生活5年余り。その間、2人が一時帰国したり、日本から何人かがNYCを訪ねたりしたけれど、いつもの仲間が全員集まるのは久しぶり。ある週末の夕方、お気楽夫婦の住む街の駅の改札で待ち合わせ。ご近所に住む友人(夫)と一緒に2人を待つ。余りに久しぶり過ぎて、楽しみでもあり、照れてしまうような、ちょっとくすぐったい気持を抱えながら。ホームからの階段を降りる2人の姿が見える。お互いに満面の笑顔が零れる。「久しぶり〜っ♪」「ほんとだねぇ♪」そう言いながら改札を出る2人をハグで迎える。気が付くと改札の周囲の視線が集まっている。「気にしない!だってアメリカ人だもんっ」帰国間もない友人(妻)が開き直る。うん、気にすることはない。NYCを訪ねたお気楽夫婦をJFKで待っていてくれた友人夫妻。その時のハグのお返し。ほんとに帰ってきたんだねぇ。

Photo_3 Photo_4 国祝いパーティ1軒めは、ご近所の友人宅でティータイム。数年間、直接伝えられなかったお互いの近況を語り合う。数年の時間が一瞬の内に縮まる。取り留めもない話に笑いが起る。突っ込み、突っ込まれる組合せは、彼らがNYCに行く前と一緒。ボケ具合も、突っ込みのスピードも衰えていない。スカッシュ仲間専用の伝言板をサイトを友人が作ってくれた。そこに書き込まれたお互いの小さなエピソード。私の拙いブログの記事。毎年NYCから送られて来たメトロポリタン美術館の卓上カレンダー。お気楽夫婦宅でパーティをやった時に、国際電話で参加してもらったこともあった。NYCを訪れた際には美味しいお米や梅干しを買って行った。・・・そんな、実にいろいろな事柄で仲間は繋がっていた。日本とNYC、10万㎞の距離を軽々と飛び越えて。・・・ほんとに帰って来たんだねぇ。

Photo_6 Photo_7んっとに楽しみにしてたんだぁ♪」NYCの友人を迎えるには、この店。私が30年近く通い詰める萬来軒。皆で毎年秋には上海がにを食べるために集まる店でもある。「IGAさんのブログを読みながら、あぁ食べたいって思っていたんだ」3組の夫婦に加えて、1組のカップルと唯一独り者の友人(♂)が合流。「あぁっ!おばちゃん久しぶりです」お土産を渡す友人夫妻。「お帰りなさい、長かったねぇ」「おじちゃんの料理食べたかったんだ」いつものメンバーと、いつものメニュー。いつものおじちゃんの味。サイマキ海老の紹興酒漬、海鮮春巻、四川水餃子・・・そして蒸し上海がに、麻婆豆腐。「やっぱり美味しいねっ♪NYCにはなかったんだ、この味。いつでも食べに来られると思うと、とっても嬉しい♪」NYCになかったのは、きっと皆でわいわいと食べる、この味だ。

Photo_8Photo_9の店「BAR808」では美味しいワインが待っていた。お気楽夫婦の羊の国土産、そしてNYC土産(人気のトレーダー・ジョー)の、いずれも絶品のシャルドネとソーヴィニョン・ブラン。おつまみは、チーズとイチジクジャム、博多通りもん、モンサンクレールのマドレーヌなどヴァラエティ豊かで節操もなく。9人の仲間のそれぞれの個性のように。語って、笑って、飲んで、また笑って。そして楽しく、嬉しい時間は瞬く間に過ぎて行く。そろそろお開きの時間だ。本来は終夜営業の予定だったBAR808。けれどNYC帰りの友人夫妻には可愛い愛犬が待っている。でも大丈夫。10時間以上も掛けずに、また皆で集まれる。また皆で美味しい酒が飲める。欠けたピースが元のように収まった。

日、ご近所の友人夫妻と一緒の夕食。「それにしても、Mちゃん(NYCから帰って来た友人(妻))、なんだか強くなったねぇ。なんか、しっかりと軸ができた感じ」と妻。NYC駐在5年余り、NYCで揉まれてたくましくなったのか。「え?そう?」何のことという感じのご近所の友人(妻)。「うん、僕もそう思った」同意するご近所の友人(夫)。「えぇ〜っ!私だけ?!何それぇ?」と友人(妻)。・・・相変わらずの関係ではある。友が(ニューヨーカーのままで)帰って来て、ますます楽しみが増えたお気楽夫婦である。

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2008年11月 9日 (日)

ショップカードを受け取りに「ニュージーランドの手」

Photo_3Photo_4Photo_5ライストチャーチの空港に降り立った時、澄み切った青空がお気楽夫婦を迎えてくれた。調べてみると、確かにNZは大気に含まれる塵が少なく、鮮烈とも言える空の青さはそのためだという。そんなNZ滞在中のある日、試合が終わった後、旧カンタベリー大学の校舎を利用したクライストチャーチ・アートセンターを訪ねた。タクシーを降りて建物に入ろうとした瞬間、ふと見上げると見事な夕焼け。思わず息を飲んだ。そして中庭にはその空に続く階段。センスの良い空間デザイン。いずれも澄んだ空の色にぴったりな風景だった。

PhotoPhoto_2Photo_6 ころで、ニュージランドを訪れて驚いたのは料理とワインの美味しさ。街の風景はイギリスに近いのだけれど、料理やワインはイギリスとは大違い。カジュアルなお店に入って、お手軽価格のワインを飲んでも、決して外れなかった。特に白ワインの美味しさは、期待した水準以上。事前予習のために訪れた都内のNZ料理「アオテア・リンギ」の店長に教えてもらったお店「Saggio di vino(サギオ・ディ・ヴィノ)」のワインも素晴らしかった。盛り付けやサービスもいずれも合格。お気取り系のパリのお店よりも、よほどリラックスして楽しめる。但し、どの店もオードブルも、メインも、サラダも一気に出て来るのはいかがなものか・・・。

Photo_7 Photo_8 Photo_9 カッシュの観戦、参戦に明け暮れたNZ滞在ではあったが、試合の合間に訪れたクライストチャーチの街の風景も印象的だった。街の中心に清冽なエイヴォン川が流れ、その周辺に広大なハグレイ公園の緑が広がる。165ヘクタールもある公園の中には、ラグビー場、クリケット競技場、ゴルフコース、テニスコートなどが複数(それもかなりの数が)あり、市民の憩いの場となっている。街の街路樹もきちんと管理されており、緑の保全にはかなりの予算を使っているはず。落葉の処理に困り樹を切ってしまうことの多い東京に住む身としては、実に羨ましい限りだ。

Photo_10Photo_12 Photo_11本帰国前にツアーメンバーと一時別れ、2人で訪ねたオークランドも気持の良い街だった。若い頃にヨットやディンギーの経験のあるお気楽夫婦が真っ先に訪ねたのが街の中心にあるアメリカズ・カップ・ヴィレッジ。2000年にアメリカズ・カップがオークランドで開催された際に再開発したベイエリア。巨大なクルーザーが係留されるマリーナ近くにこぢゃれたマンションが建ち、その1階にはシーフードレストランなどが軒を連ねる。青い空と白いセイルが似合う、爽やかな街並。「良いなぁ。住むんだったらここが良いね」その中の1軒のレストランでシーフードを食べながら妻が呟く。そうだね。今度は長期滞在で来てみたいね。帰り際に妻はコレクションしているショップカードの在処をスタッフに尋ねる。「あぁ、ごめんね。今切らしてるんだ。また来てよ、準備しておくから。ところで今日はオークランドの初日かい」残念ながら、最終日なんだ。「あぁ、そうか。だったらまたニュージーランドに来た時に寄ってもらえば良いさ。楽しみにしてるよ♪」

フリカの手」ということばがある。一度アフリカを訪れ、その魅力に触れ、アフリカの手に包まれると、人はまたその地を訪れたくなるという。日本帰国の朝、オークランド空港に降り立ち、ヨットのセイルを模したターミナルを眺めた時、お気楽夫婦ははっきりと自覚した。あぁ、ニュージーランドの手にすっかり包み込まれてしまったと。

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2008年11月 8日 (土)

日の丸を背負って「ワールド・マスターズ・スカッシュ」

Photo_2の夏、北京オリンピックをTVで観ながら日の丸の重さについて考えさせられた。日の丸の重圧に負けて力を出し切れない選手がいた。事前準備や采配を酷評された監督がいた。国の代表として試合をすることがいかにたいへんなことか。参加することに意義があるとばかりは言っていられないプロの世界は厳しい。ところで、ワールド・マスターズ・スカッシュの(選手選考も全くない)日本チームの一員として、お気楽夫婦も初めて日の丸を背負った。ツアーメンバーの女性プロの1人がデザインしてくれた揃いのポロシャツ。胸に日の丸、背中にJAPANの文字。誇らしくもあり、妙に気恥ずかしい。日の丸を背負うに足る実力がないという自覚があるからこそ。逆に言えば(おこがましいけれど)それも日の丸の重圧。

Photo Photo_4会の初日。ツアーメンバー全員で開会式に参加し、お揃いのポロシャツで記念写真を撮影。お気楽夫婦も照れながら写真に収まった。けれどこの写真の中には文字通りの日本代表選手と言えるメンバーも多く、彼女たちは結果も残した。女子OVER35では、スペシャル・プレート(本戦2回戦負けドロー)とプレート(本戦1回戦負けドロー)のベスト4にそれぞれ3人づつ進出し、決勝はいずれも日本選手同士の対戦になった。つまり参加メンバーは、全体の9位、10位、11位、17位、18位、19位、ということ。素晴らしい成績。自分たちの試合の関係で彼女たちの試合はひとつも観戦することができなかったけれど、インチキ日本選手団の一員としてとても誇らしい気持だ。

Photo_3 して、お気楽夫婦の戦績と言えば、全敗・・・。本戦1回戦で負けた後、プレート戦、さらにその敗者のプレート戦、さらにその敗者のプレート戦と、これでもか、これでもかと試合が組まれていた。初日の練習を含め、いずれも短時間とは言え5日連続スカッシュをしたのは初めての体験。その上腱鞘炎が完治しない右腕。ボールを打つ度に痛みをこらえながら試合を行うのは正直に言えば辛かった。手首のコックは利かず、甘いボールが多くなる。そこを決められる。「腕が使えない分、脚を使いましょう」コーチの山ちゃんのアドバイス通り、懸命にコート内を走った。以前のように打てないショットを補うために。そして、最終日を迎える頃には、毎日の疲労が積み重なり、お尻の筋肉はぱんぱん。もう出たくないと泣き言を零しながら会場に向かう。それでも最後だからと初勝利を目指して。

Photo_5 ころが、会場に到着し受付を行うと「おめでとう!今日は楽な試合だったね♪」とスタッフ。え?もしかしてW/O?聞けばやはり相手が故障しての不戦勝だという。え〜っ!腕にテーピングもして今日は万全だったのに・・・。上がっていたテンションを下げるために試合を行うはずだったコートに入ってみる。残念だけれど、ちょっと安堵している自分もいる。「ちょっと打とうよ!」一緒に付いて来てくれた友人がコートに入って来る。ラリーを続ける内に身体も温まる。腕の具合も悪くない。20分、30分とプレーを続ける。「調子良かったじゃないの」と、観戦していた妻。日の丸を背負わず、公式試合でもない、NZで初めてリラックスしたプレーができた。やはりこんなスカッシュは楽しい。「やっぱり私たちは試合よりも、お気楽スカッシュだね」帰国後、大会の記念品を整理しながら妻が呟いた。「でも、楽しかったね。また何年後かに、皆で一緒に参加したいね」2人にとっては、オリンピック同様に参加することに大きな意義があったワールド・マスターズ・スカッシュだった。

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2008年11月 3日 (月)

キーゥイはフレンドリーな体育会系?「NZ人気質」

Photo_7 ールド・マスターズ・スカッシュの試合会場で突然話しかけられる。「グッダイ!君は日本人かい?だったら○○さんを知っているかい」さぁ・・・知らないですけど。「あぁ、そうか。残念だ。彼と対戦するんだけど、試合前に話をしたかったのに」・・・なるほど。敵を知るというよりは、わざわざ9,000㎞を飛んできたスカッシュ仲間と友好を深めたいという雰囲気。「ところで、君の相手は?」対戦表を示すと、「おぉ、彼はキーゥイだね。良い試合を!」と会話が続く。ニュージーランドの人々は自らをキーゥイと呼ぶ。キーゥイとは羽が退化して飛べなくなった鳥、ニュージーランド固有種「キーウィ・バード」のこと。その呼称にはネガティブな響きはなく、むしろ親しみを込めて呼ばれている。マオリと呼ばれるニュージランドの先住民にキーゥイに関する寓話がある。森の王からの要請で、地上の虫たちによって病んだ森林を守る鳥としてキーゥイが地上に降りたという。自利よりも他利、相手を思いやる気持の象徴。

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ールド・マスターズの会場にはそんなホスピタリティの心が溢れていた。OVER35や40のトップクラスの試合はともかく、OVER55、OVER60ともなると、試合よりも親睦優先。試合が終わると勝った選手が「Would you like some drink?」と負けた選手に飲み物をごちそうする。そしてもちろん自分の分も買ってきて「Cheers!」とビール瓶で乾杯。だから、あちこちの会場でビールやワインを片手に審判する選手たちの姿が見られる。妻が試合を終え、対戦相手のキーゥイのおばちゃんと記念品を交換。(女性の場合は飲み物ではなくプレゼントが多いようだ)記念写真を撮り合い、握手。「ニュージーランドは楽しんでる?試合は楽しんでる?」と聞かれる。「えぇ楽しんでますよ♪良い街ですね」と答えると、「それは良かったわ」と実に嬉しそうに再度握手を求めてくる。

Photo_5ぢゃれたワインバーでスタッフに写真を撮っても良いかと尋ねると、「私が撮りましょうか?」。暗い店内でフラッシュがたかれる。周りの客も温かく見てくれている。「縦位置でもう一枚撮る?」実にカジュアルでフレンドリー。あるワインショップでも「ニュージーランドを楽しんでいるかい?」ええ、毎日美味しいワインをたっぷり飲んでますと答えると、「それは良い」と何種類も試飲をさせてくれ、NZのワインの美味しさを丁寧に説明してくれた。(つい2本も購入してしまった)そして、そんな会話は「良い旅を!」と締めくくられる。

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ーバーを眺めるレストランではスタッフが気さくに話しかけてくる。「どこから来たの?日本?だったら東京かい?東京には人がたっぷり住んでるんだね。この海鮮プレートは大きいって?僕はそうは思わないけど。でも、とても美味しいよ」早口のキーゥイ・イングリッシュでたたみかける。(実際このムール貝、手長海老、ホタテ、イカなどをたっぷり乗せたリングイネは、一皿でお気楽夫婦2人が食べるのに充分な量だったけれど)いずれもその口調は柔らかい。そして何よりも人種に対する偏見が少ない(ように感じる)。マオリ語やマオリ語に由来する固有名詞が街に溢れ、観光客の視線で見る限り、ヨーロッパ系の人種とマオリ、アジア系の人々が自然に融合してもいる。

Photo_8 して気付けばNZの街にはスポーツウェア姿、バックパッカー姿の人々が実に多い。通学の子供たちだけではなく、通勤姿の大人(女性も)が本格的なサイクルウェア、ヘルメット、アイウェアで街を颯爽と走っている。だから、会場間を移動する日本選手団のスポーツウェア姿は違和感なく街に溶け込む。そうなのだ。この国はスポーツが身近にある。国民的な人気のラグビーのニュージーランド代表チーム「オール・ブラックス」に代表される「観るスポーツ」だけではなく、ラグビー、テニス、スカッシュ、ヨットなど地域に密着したクラブ育成のプログラムがある。そして何よりスポーツを愛する、自然を愛するキーゥイ気質はそのライフスタイルに現れている。フォーマルよりカジュアル。ファッショナブルよりスポーティ。人懐っこく、フレンドリーなキーゥイは体育会系。ワールド・マスターズ・スカッシュのホスト国として、実にぴったりのお国柄だった。

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2008年11月 2日 (日)

リンコウくん登場!「マスターズ・スカッシュと世界の水準」

Photoールド・マスターズ・スカッシュOVER35の予選。こんな相手にここで負けたら皆に合わせる顔がない!(本人談)との思いで勝ち進んだ、我らがコーチ兼ツアーの団長でもある山ちゃん。本戦の1回戦の相手は、シード選手のPascal LINCOU(FRA)。ん?どこかで聞いたことがある名前だな。会場はクライストチャーチ・フットボール・クラブ。試合開始が遅い時間ということもあり、その日の試合を終えた日本選手団(結団はしていないが)20数名がほぼ全員集結した。4面のコートの後方にはガラス張りの窓を隔てて大きなメンバーズ・サロン。カウンタバーで、ソファで、ワインやビールを飲みながら観戦できる。試合を終えた大勢のマスターズたちが赤ら顔で戦績を語っている。

Photo_2 合開始直前、コート後方にワイングラスを片手に集まる日本応援団とフランス応援団。それにしても対戦相手の名前が気になる。フランス応援団の1人にこっそり尋ねた。彼は元チャンピオンと同じ名前だけど・・・。「そうさ!パスカルは兄貴だよ!一緒にプレーしてたんだ」うひゃ!やはりそうか。山ちゃんには伝えないでおこう。両国の大応援団の前で試合が始まる。息詰るラリーの応酬。1ゲームだけなら文句なく世界的プレーヤー(IGA評)の山ちゃんがリード。フランス応援団から激が飛ぶ。「Allez! Pascal!(行け!パスカル!)」声援に応えるように彼のボールがニックに決まる。「C'est Bon!」確かに素晴らしいショットだ。そして、山ちゃんのクロスがバックコートに突き刺さる。C'est Bon?フランス応援団に尋ねると「Oui,C'est Bon!」と微笑まれる。良いヤツらじゃないか。お礼にワイングラスを掲げる。(ルネッサ〜ンス!などとは言わなかったが)1ゲーム目は山ちゃんが先取。

Photo_3 の後もお互いに素晴らしいラリーが続く。日仏それぞれの応援団は相手のグッド・ショットにも拍手を贈る。実に良い試合だ。2ゲーム目からは次第にリンコウくんの自力が勝り、3バックで山ちゃんは惜しくも敗退。試合が終わり、フランス応援団の1人と話し込む。おめでとう。「Merci!YAMAZAKIは怖い選手だね。良い試合だった」ありがとう。聞けば、彼らはインド洋に浮かぶフランス海外県「レユニオン島」に住んでいる仲間だと言う。リンコウ兄弟はレユニオンの出身で、パスカルくんは今でも島で体育の先生をしているらしい。応援団も全員今大会に参加しており、今日は全員で応援に来たと言う。じゃあ、皆で一緒に写真を撮ろうよ。「おぉ!良いね!」ということで、2人の選手を囲み記念撮影。お互いのプレー(と応援)を讃え合い握手を交わす。この試合を観戦できただけでもNZに来た価値がある。パスカルくんにはぜひとも勝ち進んで欲しいものだ。

ころが、山ちゃんに尋ねると「いや、次は厳しいでしょう。相手は第2シードだし、現役ではなくても間違いなくPSAのトッププレーヤーだったでしょうからね。今日は僕が負けましたけど、ショットの切れは僕の方が良かったし、彼のショットだと通用しないでしょう」う〜ん、そんなものか。

Photo_4 して翌日。顔見知りになったフランス選手団の何人かと顔を合わせ挨拶。Bonjour! パスカルは今日はどうだい?聞けば、これから試合だとのことで2階から応援。・・・・・凄い。パスカルくんも善戦してはいるものの、第2シードのScott GARDINERのショットは桁違い。パスカルくんの素晴らしいショットを涼しい顔をしてリターンするばかりか、なぜそこに打てる?というコースにもの凄いスピードのショットが突き刺さる。ショットのヴァリエーションが無数にある。パスカルくんはコート内を動かされまくり、電池切れ寸前。ふぅ。これが世界のトップレベルのプレーか。パスカルくん、0-3で負けた後も、コート内でしばらく動けず。相手は息を切らした様子もなく、とっくにコートを出てしまった。パスカルくんに声をかけ写真を撮ろうとすると、辛うじて笑顔を向けてくれた。前日とはまるで別人。山ちゃんが、OVER35参加の女性プロたちが、身体で感じたかったという世界の水準がそこにあった。

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2008年11月 1日 (土)

選択と集中「羊の国のスカッシュコート」

Sq 本国内にあるスカッシュコートの数は500面弱。全国で230余りの施設に平均2面程度しかないという計算になる。それもほとんどが総合スポーツクラブの中にちんまりとある場合がほとんど。スペースの割には稼働率が悪いという理由で開設当時に何面かあったコートが徐々に減らされ、いつの間にかなくなってしまったクラブもあるらしい。スカッシュ専門の施設は全国に数えるほどしかない。供給数(コート数)はニーズ(競技人口)と比例する。経済的な側面から見れば仕方がないことではある。ニュージーランドの施設数は約300。ほとんどは専門施設かテニスやラグビーなどの併設クラブ。仮に平均4面として1,200面。スカッシュプレーヤーとして、羊の国のスカッシュコート事情は涙が出るほど羨ましい。

Photo_5 イトフライトでニュージーランドに到着した当日。ホテルに荷物を預け向かったのはクライストチャーチ スカッシュクラブ。ダウンタウンから歩いて10分程の閑静な住宅街の一角に建つスカッシュ専用のクラブ。コート数は5面。2階からも観戦できる構造。眠そうな顔をしていたツアーメンバーの目が輝く。お気楽夫婦が参加したこのツアー「山崎コーチと行くワールド・マスターズ・スカッシュ」の参加メンバーはほとんどが女性プロコーチ。OVER35以上のシニア大会とは言っても、現役の全日本ランキング上位者が参加するメンバーの顔ぶれは豪華だ。5人の女性プロ、アマチュアながら全日本選手権出場経験者が2人、そしてナショナルコーチの山ちゃん。素人プレーヤーはお気楽夫婦を含め4人だけ。2時間の練習とは言っても、日本では到底望めない贅沢な練習だ。

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人4人は山ちゃんのレッスン。2階からキーゥイのオヤヂたちが不思議そうに球出しやパターン練習を眺めている。時差ぼけ、寝不足の身体が急激に目覚める。心配していた右腕も使えそうだ。男前の鍼灸師の先生に感謝。そして女性プロの1人を指名してパートナーをお願いする。贅沢三昧。それにしても、羊の国は日本よりも国土の面積は狭いはずなのに、施設も、街も、街路も住宅も広々。かつて兎小屋と呼ばれた日本の住宅と比べると圧倒的に余裕がある。※羊の国の面積は26.8万㎢、兎の国は37.8万㎢と30%程度広いけれど、人口は兎の国が1億2,765万人に対し、羊の国は僅か427万人。なんと60分の1。そりゃ違うわ・・・。ちなみに羊の国の羊は3,000万頭以上らしい。羊と人間の数を合わせても日本の1/3。1人ないしは1頭当たりの国土面積は倍以上、人間だけだったら20倍以上ということだ。実感、納得の数字。

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れにしてもスカッシュコートの数は人口比較以上の差がある。イギリス連邦でもある羊の国で盛んなスポーツは、ラグビー、クリケット、スカッシュ、テニス、ヨット、スキー、登山など。今年の北京オリンピックNZチーム選手団は15競技の185人で、9個のメダル獲得。それに対し日本選手団は26競技の339人で25個のメダル。数字上で比較するとNZは人口の割にオリンピック代表が多く、メダル獲得数も多い。参加競技数が少ないことからも、選択と集中で各競技のレベルを高めていると言える。残念ながらスカッシュはオリンピック種目ではないけれど、NZで“選択”されたスポーツということだ。NZ滞在2日目、私の初戦の会場であるバーンサイドSQクラブに向かった。並木道を車で10分余り、広大な公園の一角にそのクラブはあった。コート数4面のスカッシュとラグビーのクラブ。クラブハウスの隣にはラグビー場が数面(何面か分からない)広がっている。ふぅ。豊かさとは何だろう。タクシーを降りる時に女性運転手に声を掛けられた。「グッド・ラック!良い試合をね!」・・・ほんとに、豊かさの尺度は何だろう。

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